障がいは個性? | Tamacoのブログ

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ただ今、次男とにゃんこの大福さん.小福たんと外猫タミオと暮しております。

日々思うこと、思ってきたことをツラツラ書いていこうと思います。


障がいは個性…。

よく聞くよね。
障がいを持ってる人も。
障がい者を持ってる家族の人も。

っていうか、その言葉ばかりが耳に聞こえてくる。


強いよね、障がい者も家族も。


けどさ、世の中、みんなそんな強いのかな?
個性とか、そんな風に思える人ばかりなのかな?

っていうか、それ、強い人なのか?
思えない人は弱いのか?

思える人は善で、思えない人は悪なのか?




私には目に障がいを持った子どもたちがいます。

もう2人とも大人になり、今では全てをお互いに任せている日々を送っていますが……



ずっと心の奥に隠してきた罪悪感。

弱い自分
酷い母

などなど…




長男の障がいがわかったのは1歳くらいの時。

無虹彩症という障がい。

詳しくは長くなるので割愛しますが…
簡単に言えば光に弱い。
太陽の光の元では物が見えずらい。



長男の障がいがわかった時、私が思ったこと


なんで私?
なんで私の子に障がい?
私が障がいのある子の親?

ってこと。

確かに子どもが可哀想という気持ちもありました。
多分人並みに…

でも心の奥底では自分の子どもの障がいを認められない自分がいました。


なんで?
なんで?
なんで?って。


光に弱い息子は大学病院に通いながら、外に出る時はサングラスをかけました。

世間から見られる苦痛。

その苦痛は、息子が好奇の目で見られるという事の裏側に、好奇の目で見られている私(という思い込み)

可哀想な男の子という裏側に隠れた、可哀想なお母さん(という思い込み)


病院では遺伝的なものではないと言われたけど、次男は無虹彩症と斜視を持って生まれた。


ますます私の中での
なんで?
なんで?
なんで?
が膨らんだ。


次男が白内障で9カ月の時手術をした。

1歳5カ月で2度目の手術をした。


次男は眼球も小さいために眼内レンズはいれられないので、代わりに分厚い眼鏡になった。

ますます世間から好奇の目で見られることが増えていった。


可哀想な息子。
可哀想なお母さん。

受け入れられない自分を責める自分。

思春期になって、鏡を見ながら『僕の目は治らないの?』と問う次男。
プリクラで片目を隠しすことが癖になった次男。


世間から流れてくる『障がいは個性』という言葉。

弱い自分を恥ずかしいと責める自分。
強い母でいなくちゃ…
と頑張る自分。



ずっとずっと苦しかった。
ずっとずっと心の中で責めていた。





最近になって、このダメな自分を気持ちを吐き出すことができた。

グチャグチャに泣きながら。



私を責める人はいなかった。

みんなが私の気持ちに寄り添ってくれた。


全ては思い込み。




なんか、だんだん文章がまとまらなくてきてしまいましたが、



障がいを個性だなんて思えない人もいるってこと

家族も

本人も

でも、それって弱いことじゃないと思うんだ。

個性と思えることが強いってことじゃないと思うんだ。


ホントに強いってことは、『そう思う自分を受け入れる』ってことじゃないかな❓


だって仕方ないじゃん、そう思ってしまうんだから。



何も責めなくてよかったんだ。
隠さなくてよかったんだ。
強くならなくちゃって頑張ることなかったんだ。


私が私で生きること。
ありのままで生きること。

正確はないかもしれない。

でも、全てが正確なんだ‼️

ってこと。



今、子育て終わって、おばさんになって、ホントに思います。



そう思えることになったキッカケは、やっぱり心屋ぢんさんのおかげかな?笑




感謝💕