精神疾患の治癒を
「完治」という言葉で表現しないのは
状態がよくなったとしても
罹患する以前と同じ状態に戻ることとは異なるから
というのはよく言われていますが

本当にその通りだなぁと痛感しています


状態が悪い時は勿論
いい時もすぐ側に病気はいつもいて

それは体調のことだけではなく
もう私のアイデンティティとも
混ざりあっているところがあって

それがあるから私で
でも憎らしいこともやっぱりあって

なんだか不思議な関係だなと思います


治すというより
共生するための道を見つけていく方が
生活していく上では必要なのかなと
今の私は思っていて

今私の生活から
統合失調症も解離性障害も切り離せないなら
それと付き合う中で
なんとか生活していくしかありません


『今の時代精神疾患は治る病気』という言葉が
社会でも少しずつ浸透していますが
私は「治る」っていう言葉が適切なのか
今でもまだよく分かりません

今状態が安定して
社会生活を送れている人は
綺麗さっぱり病気の部分が無くなったかといえば
そういう訳でもないような気がしていて

付き合い方に
折り合いの付け所や付けようがあった人が
共存に成功したイメージの方が
何となく近い気がします

治ったからもうならない、ではなく
今は状態がいい、なのは周りでもよく聞きます


したくもない共存も
するしかないからせざるを得なくて

でもそれをし続けていると
もうその病気無しに自分は語れなくなります

必要に迫られ続けやってきたことの
私の人生に占める時間が増えるごとに
病気との関係がより太くなっていくからです


ないに越したことはないけれど
もう今の私は、自分から病気が消え去った自分は
想像できなくて
『これがあるから私』という言葉が
すごくしっくりハマるようになってきました

その言葉が綺麗事だけでは語れないことや
綺麗な響きの言葉の裏に隠された
葛藤の過程も忘れてはいけないなと思います