自分が『学校』という場所を
一歩引いて俯瞰できるようになった時
あそこはなんて狭い社会だったのだろう
と感じた人は

私に限らずいらっしゃるのではないかと
思っているのですが…


大人にとっては大したことでなくても
当事者にとっては
明日をどう過ごすか
思い悩んで夜も眠れなくなることも
学校という社会には山のように転がっていました

それはそこにいる人たちの社会経験の少なさも
関連性がないとは言いませんが
それだけでもないよな、と今の私なら思います


狭い世界である故絶望してしまうなら
それを離れたらいいよと言いたいです

…が、今の社会では
その後のセーフティネットが
とんでもなく手薄なことも
私はとてもよく知っています

私が当事者だったから

学歴がわかりやすい肩書きで
学校の成績が受験の際はダイレクトに響くのも
とてもとてもよく知っています

最終的には学歴は肩書き以外にはなりませんが
学生にとってその肩書きは
とても意味の大きいものですよね

瞬間を判断するものにもなれば
優劣のカードのひとつにもなります


だから『離れたらいいよ』が
もっと軽く言えるといいのにな
って思っていたりもします

なんの力もない私一人には
どうも出来ないのが歯痒いですが…


大人になることの一つに
世界は広いと知ることもあるのではないか
と、今の私は思っています

でも「世界は広い」と知るまでの間に
色々なものやことを抱えながら
過ごす子どもがいることも知っていて

…なかなか難しいですね