彼と私、お互い20代半ばに差し掛かって
人生で『結婚』を経験したいと考えるのなら
貴重な歳になってきたなと思うようになった時

私が彼の時間を貰っていることに
ふと疑問が生まれました

このままでいいのか?


障害のある自分が
共同生活で如何に配慮が必要か
今までの年月で嫌な程わかってしまったので

健康で健常な人とはまた違う意味で
共に生きるのに困難が生じるのは
自分でも理解しています

私も人で、勿論障害は私の一部でしかないけれど
それでも生きづらい人との生活は
綺麗事や感情論では片付けられないことが
沢山あるとも知っています


恋愛と結婚はまた別物です

彼が人生で『結婚』を経験したいと望む時
その相手が私であってくれるのだとしたら
後ろめたくなることがあります


父の『お前といるのはストレスだ』という
言葉の意味も本当は知っています

私の生きづらさが、
日常的に必要な配慮が、
プラスアルファの負担になっているのは
間違いなく事実です

それを他人に要求することなど
あっていいものなのか?


それらを理解した上で
彼は今私と居るのだろうか?


そこまでして
私は他人の人生に踏み込んでいいのか

自分で自分の面倒をなんとか見ながら
人生を自分なりの幸せの形にする方が
自分も周りも幸せなのではないか


もし離れるなら
20代半ばの貴重な時間を
奪う形になってしまわないように
関係を見つめ直した方がいいのではないか


…なんて、色々考えてしまったり


こうして考えてみると

自分の病気を後ろめたいことだと
思っていない気でいたけれど
一番偏見を持ってるのは私だったかもしれません


綺麗事で片付かないことも
生きていれば沢山ありますね