昔は自分に好意を持ってもらえることに対して
無条件に嬉しく感じていましたが
最近になって少しずつ
感覚が変わってきたように感じています
少しずつ色々な方と関わる場面が増えてきて
また私自身も年齢と共に
そうはいっても経験値が上がってきた中で
人が自分に対して向ける好意の中には
いくつか種類があることを
遅ればせながら理解し始めた気がします
相手が私に対してアクションを起こしてくれる中で
私が女じゃなかったら
親しくなろうと思わなかったでしょ
というのが透けて見える人に対して
自分でラインが引けるようになりました
これは完全に主観での判断で
客観性に基づいて
明確な指標がある訳ではありません
ただ、シンプルに私がそう感じるか否か
恋愛に限った場面だけでなく
私が女じゃなかったら、
私が若くなかったら、
わざわざ近寄ってこなかったでしょう
そんな接し方しなかったでしょう
というのが透けて見える人が
自分に対して与えるものは
不快に感じるものが多いことに気がついたんです
これに関しては自分の直感を割と信頼しています
関わりが心地いいかどうかは
その人との関係構築のストレス度合いと
私の中ではとても比例することを
これまでで学習してきたから
話し方のリズムとか
距離感とか、考え方とか
ベースにある価値基盤だとか
それが合う人もいれば、合わない人もいて
それはもうリズム感とかフィーリングとか
そういう話になってしまうから
敢えて言葉で説明するのは難しいし
単純な好き嫌いの分類のように
取られてしまうかもしれませんが…
そういうのって何となくあるな、と
そして、
私を一人の人間として理解した上で
好感を持って接してくれるかどうかも
その場にいたら何となく分かる気がしています
相手に本当はそんなつもりがなかったのだとしても
私自身が感じた不快感は私のものだから
私が嫌だな、居心地が悪いなと思えば
『でも自意識過剰だろう』と誤魔化す必要はないな
と思うようにもなりました
私がどう感じるか
心地よくない人と関わらなければいけない場面は
大人だから勿論あるけれど
プライベートな時間にプライベートな関係で
そういう人との関わりに
わざわざエネルギーを割く必要はないよな…と
そして義務的な場面だとしても
誤魔化すことで相手のリズムに完全に溶けることに
義務感を感じる必要もないんだな…と
最低限の必要事項をきちんとこなせているならば
私の中で『これ以上は踏み込ませない』のラインは
あってもいいんだなと思えるようになりました
世の中にはきっと
私のことを好きだと言ってくれる人や
大切に思ってくれる人もいれば
苦手に感じる人もいるだろうし
悲しいけど、嫌いだと思う人もいるのかも
それと同じように
私も人に対して感じることは様々です
それはその人自身が良い悪いではなく
私と合うか、合わないか
私は私ができるだけ快適に過ごすために
自分が心地いい関係や世界の探し方を
私なりに模索していて
その一例が『私個人を見ている人かどうか』
だというお話です