私が病気や障害をオープンにすると
とてもそうは見えませんね、とよく言われます
統合失調症と診断されていて
障害者手帳を持っています
とお伝えすると
構えてかかられることもありますが
お話していく中で結局は
言われなければ気が付かなかったと思います
と言われることも多いです
それは勿論今の私の状態が
そう思っていただけるところまで回復してきた
というのもあるかと思いますが
私自身が自己分析と
アウトプットの試行錯誤を繰り返しながら
強みと弱みを理解して
どうしたら弱みをカバーできるか
探してきた結果でもあると自負しています
障害はハンディキャップです
だから「障害」という肩書きがついているのだろう
と私は認識しています
そして障害を理解してもらうことは
障害でできないことを仕方ないなと許してもらう
ということとは違うと思っていて
出来ないなりにどうするか
の方法に対しての理解してもらうこと
だと思うのです
特に仕事をする時
自分を商品として買ってもらう時に
向こうが使えない人材は買ってくれないのは
ある意味仕方がないと思っています
それは健常であっても同じです
健常な人と全く同じようにはいかなくても
こうすればこれはできる
これは難しいけれど、これなら人より自信がある
これなら出来ます
と売り込まなければいけないのは
健常であろうが障害であろうが同じで
それを自己理解できている事が
理解を求めるための一歩なのではないか
と思います
そして仕事に限ったことでなくても
障害であることはその個人の一部でしかなくて
それ以外に、そしてその障害もまた
その人自身の魅力としてあるのなら
人は親しみを持って近づいてきてくれるのだ
と体感してきました
障害はハンディキャップです
私は、私たちは
そのハンディキャップを抱えながら
生きていくことになります
それはもう自分にはどうしようもない事です
諦めるしかない
悲しくて、切なくて、恨めしくなることも
やっぱり沢山あるけれど
それでも生きていかなければいけないのなら
生きていく方法を掴んでいかなければいけません
障害故生きづらいことは確実にあります
だけど障害は免罪符にはしてもらえません
周りの理解を求めるために
私も私自身を理解しなくてはいけなくて
それをとりあえずここまでは
投げずにやってきた自分のことは
私は誇りに思っています
障害であることだけ聞いて突っぱねないで
と話してきた私と
それを聞いてくれた人がいて
今の私の世界は出来ています
「とても障害があるようには見えませんね」
と言われる私は
障害であることをオープンにしなければ
合理的配慮を提供して頂く機会を逃します
それは私の、そして周りの人のパフォーマンスも
同時に落とすことになりかねません
だから私はきっとこれからも
障害をオープンにしながら
生きていくだろうと思います
その際
これは苦手ですが
こういうアプローチをして頂ければ
結果を出す自信があります
と堂々といえる私でありたいですし
言える私でいられるように
今出来る努力を怠らない私でいたいな
とも思います
私が、そして欲を言えばあとに続く人が
生きやすい社会に少しでも貢献できるように
これからも奮闘していきます!