なんだか最近ちょっと疲れてしまいました


病気になり始めだった頃は
『絶対良くなるんだ!』と自分を奮い立たせて
積極的に治療に取り組んでみたり出来ましたが

7年間病気と付き合う生活を続けてきて
いい時もあれば、悪い時もあり
何をしてもどうしようもない時もあり

薬を変えても
やっぱり、いいこともあれば
副作用が辛くてしんどくなったり
何かをいい状態にするために
何かを引き換えにしたり


最近もとてもいい状態ではありませんし
現状には不満だらけだし
辛いし、しんどいけれど

現状を打破しようと手を尽くしたところで
今から劇的に好転する未来が見えなくて
少し良くなったところで
障害を抱えていかなきゃいけないことに
変わりはないし

それだったら
不満は多いけれど
今なんとかやれていることを抱えている方がいい
と思う気持ちも強くて


積極的姿勢でいるモチベーションを
どこかへ落としてきてしまったみたいです

何かの所為にしていないとやっていられない

これさえ乗り切れば
ここを乗り越えれば
これが過ぎ去れば

きっと今より良くなる
少しは楽になれる


まだ頑張れることはあるかもしれないけれど
きっと山ほどあるんだろうけれど
頑張っても結果が出ない経験は
もうしたくなくなっちゃった

心が折れるから

その度に落ち込むから

自分のせいだと思いたくない


周りに心配してくれる人が沢山いるのは
とてもありがたい事だけれど
素直に「ありがたい」と
思っていられるばかりでもいられない

重たく感じる時も
正直、鬱陶しく感じる時もある

好きにさせてほしいと思ったりもする


この間彼の誕生日に会いに行った日も
本当は周りの人からとってもとっても止められた

とっても体調が悪かったから
その日はやめなさいと

でも私は1年に1回のことだから
どうしてもその日が良くて
前日に夜行バスへ乗って
1日楽しんできて
ちゃんと元気で自力で家まで帰ってきた

心配してるだろうからと
夜行バスが着いた時、
彼に最寄り駅に送ってもらった時、
乗る電車と帰りの新幹線の時間、
それぞれに乗る時、
自宅の最寄り駅へ着いた時、
こまめにきちんと連絡も入れた

でも、周りに心配をかけながら
ワガママを押し切って行ったから
「元気に行って帰ってこれてよかった」より
「周りはとても心配した」方が先だった

よく考えなさいと

周りは心配してるんだから
連絡をするのは当たり前だと

遊びに行きたいなら
その日をめざして体調を整えようよと

今回言って帰ってこれた実績は
その日に体調を間に合わせたうちには
なんだか入っていないみたいな口振りが
すごく凄く腹立たしかった


どんなに私ができることを気をつけたって
突然体調が悪くなって
どうしようも無いことだってある

合わせようっていったって合わない時だって

今回がそうだったのだとしても
ちゃんと行ってこれて
楽しんできて
無事帰ってこられたそれじゃいけない理由が
私には全然分からない

私が心配を押し切って行ったから?
ワガママを言ったから?

周りの心配のために
元気に行ってこられたこと自体も
小言の対象にされなくちゃいけないの?


私だって普通になれるものならなりたい

心配かけずに済む状態で生活したいに決まってる

でも今自分の力じゃどうしようも出来ないことを
そう言ってしまったら
私は主体的に動いてないことになってしまうの?

そこを全部
自分の努力で何とかできるかもしれない
と抱え続けるのが
どれだけしんどいか知ってる?

うまくいかなかった時
全部自分の責任として抱えていると
死にたくなってしまうの

こんなことも出来ない
あんなことも出来ない
何をやっても上手くいかない
って毎日毎日何回だって思うこと
ひとつずつに向き合うことに
疲れ果ててしまったの


これはできた、あれはできたって
それを見て「次はこれがしたい」と
理由ができる積み重ねがしたいのに
できたことを「できた」って言えないことが
すごく悲しくて腹立たしい

私にとっては成功体験だったのに


私がどんな感情で
自分の状態を考えているのか
私も頭に血が昇ったまま話してしまったから
全然正確に伝わってないだろうなと思ったら
余計悲しくなってきた

いつも何かの所為にだけしている訳じゃないのに
きっとそう伝わっているだろうと思う

確かに疲れてはしまったのだけれど


普通の23歳になりたいね