自分が障害を抱えて生きるようになって
『障害への理解』が
当事者の立場で考える
切実な問題へと変わりました

自分が当事者になってみると
それまで自分で思っていたよりも
世の中では意外と多くの方が
障害を抱えながら生きていることに気が付き
尚更他人事じゃないな…
本当は他人事じゃいけなかったんだな…
と身をもって感じました


理解されない苦しさ
同情や哀れみを向けられる屈辱感

私はあなた達と同じ社会で暮らす人間だ
と、自分の存在をフラットに
見てくれもらえない機会も経験しました

それは私の状態に
『障害』という名前が付いている
ただそれだけの現象により
起こったこともあります


理解して欲しいと望んできました

周りで同じように障害を抱えてい着ている人達の
「理解されたい」という言葉も
たくさん聞いてきました


私はただ特異な存在にされたくないだけです

他の人と同じように
与えられたカードを必死に使って生きています

特別扱いだってされたくない

障害の影響でできないことがあって
手を借りられたら助かることも山ほどありますが
それを当たり前のことだとも思いません

それもまた社会で行われている
お互い様と同じ形でありたいと望んでいます

障害者だから当たり前に恩恵を受けられる社会に
なって欲しくもないし、して欲しくもない

私は私で
人としてできる形で社会貢献したいです

同じ存在として、同じ土俵で
当たり前に扱われたいだけです


そういう意味での『理解』です


人として『尊厳』も『責任』も
同じように抱えているし
抱えさせて欲しいと望んでいます