今までの自分の実体験も踏まえて強く思うことは

愛されたいから誰かと一緒にいることを選択しても

自分の望む形にはならないな、ということです


ここでいう「愛されたい」には

自己肯定感を満たす意が多く含まれていることを

ご理解頂ければ幸いです



以前も何かの記事で書いたことがありますが

今思い返すとしたら

今までの私はこの「愛されたい」という気持ちで

お付き合いしてきたな、と感じます


正直、今お付き合いしている彼にも

付き合い始めはそれを求めていた節が強いです


自分では自分のことが上手く愛せなくて

不完全な自分でも

『好き』だと言ってもらえることが

心地よかったんです


自分が誰かから必要とされている事実に

縋ってしまったこと

彼に対してもすごく失礼なことをしたと

今は物凄く反省しています…



去年の夏から一年と少し彼と過ごす中で

それじゃダメだな、と感じた場面は色々あります


人それぞれ愛情の形は違うから

自分が求めることと

相手が求めることも勿論違うし

表現もそれぞれ違うから

それをピッタリ合わせることを求めるのは

無理だと気がついたこと


そもそもの価値観も違うから

全ては分かり合えないことに気がついたこと

全てを許容できなくてもいいと気がついたこと


そして一番は

どんなに愛情を注いでもらっても

受け取る私の受け皿が形を為していない限り

満たされるはずがないことに気がついたこと



全部今までも頭では理解していたと思いますが

それらが感覚として気がついて

腑に落ちたような気がします


それ分だけは

私が大人になれたのかもしれません(笑)



ヒビの入ったコップに水を注ぎ続けても

コップにヒビが入っている限り

コップは永遠に満たされません


むしろヒビが広がって

最後には割れてしまうかもしれません


でもそれは水を注ぎ続けてくれた側ではなく

コップを形作る側の問題だな、と

私は感じました



恋人の存在によって

自分を肯定できることは今も変わらずありますし

それ自体を否定するつもりはありません


ただ自己肯定感を満たすための要素として

恋人に過剰に縋ることはやめなくてはな

と思いました



恋人は自己肯定感を満たすための

相手じゃないですもんね


自分の穴は自分でしか埋められないです



自分を好きになれなくちゃ

人を好きになれない、というのも

全面肯定はしませんが


自分を受け入れられると

他人の愛情や優しさを真っ直ぐ受け取れるな

というのはすごく思います


それは恋愛に限らず人間関係全てに思うことです



まだまだ劣等感やコンプレックスと

戦い続ける身ですが

それもいつか「まあいっか」と

言えるようになりたいです