16歳の時に統合失調症を発症してから
精神科の病棟やデイケアを通じて
様々な障害を抱える方に出会う機会が増えました
同じ名前の障害を抱えていても
その障害の個性は人それぞれで
障害との向き合い方もまた人それぞれでした
受容して生きている人
受容出来ずに苦しんでいる人
家族や周りの人に
理解されている人
なかなか理解が得られない人
いろんな人がいたけれど
どの人も綺麗にぱっくりは
分かれていませんでした
どちらの間にもいて
ゆらゆら揺れながら
それぞれの落とし所を探しながら
生きているような感じ
それでも一貫して思っているのは
周りの人に理解されながら
受容して生きている方が
前向きでいられるということです
人より生きづらい部分があったり
手を借りなければいけないことがあったりするから
「障害」なので
私たちは尚更人と繋がることが
本当は大切なのだと思います
憎めない人でいる
愛される人でいる
どこかで誰かに
気にかけてもらえるような人でいる方が
ずっと生きやすいのは
健常な方も障害を抱える私たちも同じです
どうせ生きていくなら
楽しくて、幸せな方がいいじゃないですか
少なくとも私はそうでありたいです
人の手を借りなければいけないことに対する
感謝や申し訳なさはいつもありますが
手を差し伸べてくれる人に恵まれていることには
いつも幸せだな、と思っています
病気や障害のことを打ち明けて
離れて言ってしまった人に
傷ついたこともありますが
りんごさんはりんごさんでしょ?
そんなことで離れていかないよ
と変わらず愛してくれる人達に
たくさん幸せをもらってきてもいます
私が病気や障害を抱えていても
自尊心の全てを手放さずに大切にできているのは
そうして愛してくれる人たちがいるからです
人から優しくされた分だけ
誰かに優しくあろうと思えます
優しさってそういう意味でも
誰かの人生を作りますし
誰かの人生を救ったりもするんです