私は以前も言っているように
生きていく上で勉強より大切なことは沢山ある
と思っていますが

それでもやっぱり
勉強は出来るに越したことはない
とも思っています

学力や学歴が
イコール人を推し量る指標とは思いませんが
指標のひとつであるとは思っています


私は、自分自身に
病気になるまでは
それなりに勉強をしてきた人間だと
自負している節がある自覚はあります

勉強だけは頑張ってきたと胸を張って言えるし
逆に言えばそれくらいしか
堂々と胸を張れるものはありません

私より勉強ができる人は山のようにいますが
それでも、自分なりに頑張って勉強してきて
そういう人たちの中で生活する環境へ
身を置く経験ができたことは
私の中で大きな意味があったことでした


私の場合は

中学時代は毎日が
何がいけなかったんだろう?
どうして伝わらないんだろう?
どうしたら分かってもらえるだろう?の連続で
散々苦しい思いをしましたが

高校へ入学したらそれらが殆どなくなりました


何が一番大きな違いだったかといわれたら

高校へ入って

生活する上で、
人と関わる上で、
大切にすべきだと思う最低限のラインが
同じであることを前提として
やり取りができる人が
うんと増えたことだと思います

あとは
意見の相違や対立が起きた時
理不尽に傷つけられることなく
この人とは価値観が違うんだな
と思うに留められるようになりました


私の通った高校では
教育にかけるお金があって
きちんと勉強をさせてもらえるだけ
余裕のある家庭で育ってきて
親に手をかけてもらってきている人も
とても多かったので
それもまたとても大きな違いだと思います


私が当たり前として前提にしていることが
正しいかどうかと言われれば
人によって様々な意見があると思います

また、
「高学歴」で陰湿な凄まじいいじめをする人
「低学歴」でこの人について行きたい!と思える
徳の高い人…私の周りにも色々な人がいるので
冒頭の通り高学歴を賛美するつもりはありません


ただ、
どんな環境に身を置くかで
自分の人間性も全然違ったものになるな
とは常々思っています


挨拶をきちんとする
食事マナーを守る
ルールを破らない
呼ばれたら返事をする
感謝と謝罪をきちんと伝える
困っている人の横を素通りしない

例え出来なかったとしても
『出来ていた方がいい』という認識が
きちんと根底にあるとないとでは
全然違います

そういうことを
同じように当たり前として認識している
というのは私にとっては
とても居心地のいい感覚でした


それら全てを
「学力」「学歴」で括るのに
少々無理があるのは理解していますが

少なくとも相関関係はあると思っています


そういう意味で『指標のひとつ』です