いつもニコニコしていて

怒っているところが想像できない

というか、全く怒らない人は

一緒にいて居心地はいいけれど

私はちょっと怖いなと感じます


本当に怒りを感じていないのなら

それはそれで良いことなのですが

いつもニコニコしているから、怒らないから

イコール不満を持っていないわけではないことを

私なりに知ってしまっているからです



世の中には

Noの表現をあからさまにせず

(出来ずの場合も多いですが)

自分のキャパを超えた一定ラインで

「これ以上は無理だ」と

シャットアウトする人も一定数存在します


そういう人のNoは大抵の場合控えめで

きちんとアンテナを張っていなくちゃ

拾えなかったりするし


私の個人的な感じ方だと

そういう人ほど

一度シャットアウトしたあと二度と戻ってこない


大抵限界まで我慢しているから

限界を超えたNoの修復は限りなく困難です



許せないことをきちんと許さない人

NoはNoで毎回きちんと訴えられる人の方が

ずっと優しいに決まってる


でも世の中では

あからさまなNoは遠ざけられがちで

いつも穏やかにみえる人が優しい人だと

扱われがちな気がします



これは全部私の主観で感じたことなので

一概にそうは言えないこともあると思います


きちんとNoを表現する我慢強い人もいますし

怒りの感情を殆ど持ち合わせていない人も

いるのかもしれません


ただ総じて

我慢強い人が我慢の限界に達した場合には

それが最後通達な印象です



相手のNoをきちんと“No”として

真摯に受け止める能力って

すごく大切なものだと思います


それが大袈裟なくらいでも良いと思っています

相手が嫌がることをわざわざやる理由はありません


嫌よ嫌よも好きのうち、なんて言葉もありますが

それが照れ隠しかどうかきちんと理解できるだけ

相手のことを知れていない段階では

全部NoはNoとして受け取って

いいくらいだと、私は思います


勝手に自分の判断基準を過信して

相手を傷つけてしまうよりはよっぽど良い



もちろんNoを伝える側のアクションも

大切なことですが

相手のNoに対して

「分からなかった」と無責任に投げ返すことは

したくないなと思います