我が家の父と弟は
自閉症スペクトラムの傾向が強くて
弟は広汎性発達障害の診断を受けていますが
ふたりとも知的には全く問題がありません
“発達障害”というと
知的な部分に障害があることを
想像される方が未だに少なくありませんが
知的には全く障害がないけれど
周りの人とコミュニケーションを取る上で
障害特性が強く現れるため
『変わったやつ』『嫌なやつ』
という位置づけで
人間関係がうまくいかない人たちが
いらっしゃることは
なかなか認識として浸透していかないため
それによって苦しんでいる人も
少なくありません
それは本人はもちろん
そばにいる周りの人が苦しく感じることも
あったりするんです
特に父や弟のように
理屈の話はできるのに
感情的で曖昧なやり取りが難しい場合は
普通にやり取りしていても
知識として認識していない人には
大抵の場合は
それが障害特性だとは思われません
毎日同じ屋根の下で暮らしていた母でさえ
それに気がつくのに10年近くかかりました
私の場合の統合失調症等もそうですが
パッと見て配慮が必要だと分からない
というのは多分皆さんが思う以上に
社会的に不利なんです
例えば、
話が通じない
感情のムラが激しい
手を抜いているように見える
それが病気の症状や
障害特性によるものだとしても
こちら側から伝えなければ伝わりません
それは、イコール
自分自身が自分の病気や障害について
きちんと理解して
それを相手に伝わるように伝える
というステップが必要だということです
それはこちら側の義務でもある部分は
確かに大きいですが
それにはまず
自分が病気であること
自分が障害を抱えていること
を認識しなければいけないですよね
周りの人から気づかれにくいそれら
特に発達障害の場合は
下手をしたら身近な家族ですら
気が付かないこともあるのだから
子どもの頃から見過ごされてきて
適切な支援を受ける機会を
逃してしまうことも、
そもそもそれらの
“何だか上手くいかない事”が
障害によるものだということに
本人すらも気づかない場合も
少なくないんです
精神疾患、精神障害の場合は
周りの人は明らかに気がついていて
本人も苦しさを感じてはいるものの
病識、病気だという認識を
自身がもてない場合もあります
そしてその次には
障害を抱えていることを伝えることにより
正しい知識が
まだまだ浸透されていないが故に
理解されない悲しさや
偏見の目に晒されるリスクも
抱えなければいけない現実も
存在します
だから、言い訳かもしれないけれど
「常識がない」という言葉は
私のようにハマり切れない人たちにとっては
とてつもない凶器だったりするんです
自分自身の努力だけでは
コントロールが難しいから
“病気”であり“障害”です
だけど、
それさえ言い訳に括られてしまいがちな
現代社会はやっぱり私たちには生きづらい
『人それぞれ』のひと言では片付かないから
なかなか難しいですね