人生楽しんだもん勝ち、だなんて言うけれど
人生が、世の中が
楽しいだけで構成されているはずは
やっぱりなくて
楽しいことの裏には
楽しくないことも存在するのが現実だ
誰かが楽しく生きる裏では
それを支える人がいる
時に楽しくないことを請け負う人もいる
楽しく生きている人を
自分の生きたいように生きている人
というのだとしたら
そういう人たちは
程々に我儘で自分勝手に
生きている人だったりする
それがイコール
マイナスなこととは限らないけれど
それは『仕方ないなぁ』と
後ろ盾や尻拭いをしてくれる人がいるから
成り立つことだというのも
私はまた事実だと思うんだ
だって、
みんながみんな
やりたいことだけやっていたら
必要なものやことが不揃いになるのは
わかり切ったことでしょう?
楽しいことと楽しくないこと
ひとりが両方を抱えることも勿論あるけれど
そのバランスは人によって
偏っているようにも思える
楽しいこと、やりたいことを
進んで選ぶ人がいれば
後ろで支える、時には尻拭いばかり
回ってくる人もやっぱりいる
でも、他人から見て輝いて見えるのは
表立って楽しんでいる人だったりする
両方いて成り立つ世の中で
いまいち報われずに踏ん張るあなたへ
多分私も、割とそういう役回りです
毎日お疲れ様ですね
しんどくなることも多いけれど
あなたがいるから救われている人は
あなたが思っているより
多分ずっと多いのだと思います
人に優しくしたからといって
全ては報われないのかもしれません
私が思う優しさと世でいう優しさは
必ずしも一致しないようなので
あなたも、もしかしたらそうかもしれません
でも、あなたは確かに
誰かの生きる意味になっています
直接的にも、間接的にも
感謝の言葉をもらえないこともあるけれど
見ている人はきちんと見ているし
気づいている人は気づいています
私もこれを書きながら
自分を慰めています
正当化かもしれないけれど
自分の存在の必要性を
肯定したいと思っています
同じ思いを抱えている人が
どこかにいるんじゃないかと望んでいます
かく言う私も
嫌なことばかりしているわけではありません
自分のやりたいことをやることも
もちろんあります
その時に
楽しかった、と疲れて帰ってくる私を
『おかえり』と迎え入れて
ごはんを支度していてくれる人がいて
帰る家があります
誰かにとって楽しくないことが
誰かにとっては楽しいこともありますし
一概には言えませんが
それでも、繰り返しますが
楽しくないことを請け負う誰かは
やっぱり必要だと思います
人生楽しんだもん勝ち、は多分正解です
その方がずっと生きやすい