私がお母さんとの関係で悩んでいると
よく『お母さんも心配なんだね』
と言われます
そうすると私は
そうですね
とても心配してくれているみたいで
と答えます
そう答えるしかないから
『娘思いなお母さんだね』
と言われることもあります
私もお母さんが私のことを
大切に思ってくれていることも
やっぱり私なりに感じています
心配してくれているのは私なりに分かってて
だけどその心配が重たくて悩んでるんです
というところまで
突っ込んでいいのか分からなくて
そのまま引っ込みます
言われた側の人が
そういうしかないことは分かっています
だけど、それらの心配を
“母親の愛”として受け止めることを
私に求められているみたいで
いつも悩ましいんです
夫婦仲が破綻して
家の中がぐちゃぐちゃになった時のことも
思い出してみれば理不尽なことが沢山あって
確かにあとのまつりだと分かってはいますが
『あの頃はお母さんも大変だったんだよ』
とおばあちゃんに言われてきて
ずっとそれは仕方がないことだったと
理解してきたのですが
最近それを
飲み込めなくなってしまったんです
お父さんに振り回されながら
反抗期真っ只中の弟とバトルしながら
病気でぐちゃぐちゃな私を抱えながら
ひとりで奮闘していたお母さんが
大変だったことなんて分かってるんです
私自身が目の前で見てきたんだから
それでも
その時期私が失くした時間は
もう二度と手元には戻ってこないし
負った傷だって簡単には治ってくれない
それが全部お母さんのせいだなんて
言うつもりは毛頭ないけれど
それらを『大変だった』の一言で
綺麗に整理なんて付けられない
確かにそうなんだよ
その通りなんだよ
だけど
私はその“心配”のために
何をどれだけ飲み込んで
諦めなきゃいけないのだろうか
とつくづく思うんです
親の心配する気持ちに
寄り添う努力が必要なことは分かっていても
『心配する親に対してどう配慮するか』まで
私が背負わなきゃいけないの…?
私はお母さんの、お父さんの
なんなのだろうか