親の望む言動を選ぶことは
自分を守るひとつの術だった

親が求める言葉を、行動を
理解して選べないと
泣くのはいつも私自身だ


自分の思ってることを
ちゃんと言えばいいんだよ、って
言ってくれる人だってちゃんといる

お父さんだって、お母さんだって
そう言うけれど

求めることから外れて
お父さんの、お母さんの
許容範囲から外れた時に
ぶつかって、負かされるのは
いまだにいつも私だ


周りの友達が聞いて
『それはいくらなんでも、』って
言われるようなことだって
我が家ではそれを回避できなかった私が悪い

分かっていてやったとしたら
そうして取った私の行動が
客観的に正当な範囲に収まっていたとしても
傷ついて、泣いたら
それを選んでやった私の責任だ


悲劇のヒロインみたいなことを
言っている自覚はあるけれど
事実私はそう感じてきた

自分の身は自分で守らなきゃ
最後は結局誰も守ってくれないじゃないか

理不尽な理由で怒られたって
むちゃくちゃな言葉を投げつけられたって
それはおかしいよね、って
共感してくれる人はいても
それを本人に言ってくれる人は
今となっては一人もいないかもしれない

だけど、私が言ったところで
結局は私が駄々を捏ねてるのと
同じような扱いで終わっちゃうんだ


私は、私が言ってることは
おかしくないと信じていたいけど

いざ本人を目の前に話をしても
あまりに通用しなくて
自分がおかしいと腑に落とさざるを得ない


ちょっと疲れちゃった

家族の都合に振り回されて
それに合わせて生きるのは
なんかもう疲れちゃったんだよ


逃げたい

けど、逃げたところで私は何も持ってない

逃げたところで
逃げたくなるくらい苦しい私のこの気持ちは
拾ってもらえるのだろうか