先日Twitterを覗いていて
ハッとさせられたツイートがあって
そのツイート自体は
その方の配慮で
既に消えてしまっているのですが
その内容を見てすごく共感して
色々考えてしまいました
私は普通に調子よく過ごしていれば
病気や障害のことを
周りの人の方から認識されることは
あまりありませんが
今の自分の肩書きや生活状況を話す時に
どうしても最低限の説明は
せざるを得ないので…
病気のことを話すこと自体には
私自身も抵抗はないので話すのですが
そうすると中には
とても心配して下さって
それあまり、こう…
言い方は良くないけれど
必要以上に踏み込んで心配してくれる方が
時々いるんです
心配してくださっている方からしたら
そんなことを色々言うなんて…と
思うのかもしれませんが
それを受ける当事者としては
やっぱり少し複雑になってしまいます
これ以上踏み込んで欲しくない部分って
誰にでも少なからずあると思うんです
確かにそれは人それぞれで
そんなことを理解して欲しいと思うのは
我儘なのでしょうが
病気も、障害も、
それによって苦しい思いが伴うから
“病気、障害”と呼ばれていて
自分ではどうしようもないところで
降り掛かってきたそれに
自分自身だって翻弄されるんです
その話題になった時点では
病気や障害の事実は
“知らないこと”だったのだから
それに対して『そんなこと言うなんて』とは
私は思いませんが
そこから詳しく踏み込んでこられるのは
正直ちょっぴりしんどいです…
それが今後自分と深く関わっていく方なら
話すことも必要なので
私だったらお話しますが
その場でその方の“心配”を満たすために
私の不自由さに向き合うのは
とても悲しいです
『心配』って言葉は難しいですよね
そうして気持ちを傾けてくれる人がいるのは
とても、とても幸せなことですが
それが傾ける先の人を縛り付けてしまったら
それはただのありがた迷惑になってしまう
だけど、そうして心配してもらった方は
よっぽどのことがない限り
「ありがとうございます」以外に
言える言葉ってなかなかないんです
私はそれを窮屈に感じる場面があったので
『心配』は私側の勝手な感情だと
思うようにしてはいますが
それもまた人によって価値観が様々なので
何が正解か分からないし…難しいです