「分かってもらえない」という状況は、
人をここまで追い詰めるのです。
こんな文章を添えられて
ツイートされていたこの記事を
私が読もうと思ったのは
他でもなく
『アスペルガー症候群』のワードが
目に付いたからです
この記事には
記事を書かれた作者の方が
アスペルガー症候群の彼と
お付き合いする中で感じた
“障害を受け入れることの難しさ”が
書かれています
ここでの受け入れる対象は
本人ではなく、周りの人です
あまり書くとネタバレになってしまうので
詳しい内容は是非冒頭のURLから
ご覧になってみてください
以前も書いたことがあるように
我が家は父と弟がアスペルガー症候群です
基本的に彼らは
それぞれ自分の理屈で生きていて
それでいてその理屈に対する融通が
なかなかきかないのが難しいところです
アスペルガー症候群の特徴である
“共感力”の弱さから
目の前で起こっている事実から外へ
想像力を膨らませるのが難しいので
情緒的なやり取りがなかなか難しくて
一般的には当たり前とされている
感情のやり取りの感覚が
『そもそも分からない』というのも
よくあることなのです
それを彼らに説明する時には
『彼らが分かるように』
説明しなければなりません
他人に何かを説明する時に
相手に分かってもらえるように伝えるのは
当たり前のことではあるのですが
その『彼らに分かるように』は
そういうレベルの話ではないんです
彼らに分かる理屈をこちら側が選ぶ
という作業だけで
選択肢は限りなく少ない
場合によっては
訳の分からない話を
ダラダラとするこちら側に
イライラすることさえあります
これは我が家の男二人の場合なので
アスペルガー症候群を抱える
全ての方に当てはまるわけでは
もちろんありませんが…
私と同じように
身近にアスペルガー症候群を抱える方がいて
『分かってもらえない』ことに
苦しくなってしまっている人も
きっといらっしゃると思うんです
私も含め障害という名の付く
生きづらさを抱える人達の近くにいる中では
綺麗事では片付けられないような現実も
実際に存在します
それらが彼ら自身の人格ではなく
障害ゆえに取られる反応だと
知識として分かっていたって
自分だって人間なのだから
当たり前に感情を抱えていて
それらを否定されながら
相手に合わせるように
言葉や態度を選ぶことなんて
出来ない時があって当たり前です
だって、だから“生きづらさ”なのだから
繰り返すようですが