例えその選択に
誰かの何かが影響していたとしても
最後にその選択をしたのは自分なのだから
その理由を誰かの所為にはしないようにと
いつも頭に置くようにはしています

誰かの所為にしたくなることは
当たり前にありますし
実際誰かの所為にしてしまうこともあります

だからこそ
それはやめたいと思っているんです


攻撃的な言葉をかけられた
理不尽な態度を取られた
圧力をかけられた…

自分の力では
どうしようもないところから力がかかって
心が小さく縮こまってしまうことは
誰だって経験があると思うんです

もちろん私もあります
そんなことは日常茶飯事です


今までの私は
ただただ、それに蝕まれてきました

こんなことをされたら
私にはどうしようも出来ないと


だけど本当に
どうしようも出来なかったのかと言われると
改めて考えたら
そうとは言いきれなかったのかな、って


きちんとNoを言う
周りの人に助けを求める
その場から逃げ出す

相手の行動を変えることは出来なくても
それに対する自分の対応の選択肢は
必ずいくつかあったはずで

それでも、それをしなかったのは自分で

心のどこかでは
それを全部ぜんぶ相手のせいにしてきました


それをすることで
必ずしも解決には
至らないかもしれないけれど

それでも
なんの行動もせずに
それによって壊れた何かを
全部誰かの所為にするのは
やめたいなと思ったんです


人生で選択肢が
ひとつも提供されないのは、多分
子供が生まれてくる親を
選べないことくらいです

それ以外は
どこかで必ず選択を繰り返して
そこへ辿り着きます


それは本当に全部私の所為?
私に出来ることは?
今、私が選べることは?