私は今
大学で精神保健福祉士を目指して
勉強をしているのですが

先日勉強をしている時に
テキストで“利用者主体”という用語が
出てきたんです



『利用者主体』
利用者の立場に立って、利用者の意思を最大限に尊重することである。このときに、援助する側の都合や価値観をもとに行ってはいけない。時には、失敗することが分かっていても、利用者の生活経験としての失敗は、見守っていくことが必要となる。人は、失敗から学ぶことも多い。



失敗することが分かっていても
見守っていくことが必要となる


人が失敗から学ぶことは
理屈としては分かっていても
やっぱり…出来れば失敗したくないし

目の前の人が
失敗すると分かっていて
それを“見守る”というのは
自分に心の余裕がないと
出来ないことだと思うんです

取り返しの付かない失敗は少ないけれど
失敗した事実からは
少なからず何かを被ります
それは本人はもちろん
時には周りにいる人も



君ならできる!頑張れ!
って言いながら、
転んだときのためにクッションを、
怪我したときのために絆創膏を、
涙が出たときのためにハンカチを、
こっそりこっそり用意しておくよ。
だから頑張れ。君ならできる。



これは私が好きな本に
掲載されている言葉なのですが
きっと、正にこういうことだと思うんです

この言葉が失敗を前提に言われているかは
私には分かりませんが…

その人に必要な経験の為には
クッションを、絆創膏を、ハンカチを
こっそりこっそり用意して
背中を押すことも時には大切ですよね

子育てで親が先回りし過ぎないのと
同じかもしれませんね(笑)


クッションが、絆創膏が、ハンカチが
その人の傷や痛みを庇いきれるかどうかは
こちらには分からないけれど
その傷や痛みも経験のうちです

死なない程度に転ぶことも大事!


私自身もまた
上手くいかない事実を重ねて
ここまで来ているし
これからもいっぱいあると思います


失敗は怖い
そりゃあ、とても

だけど失敗は成功の前触れであることも
また事実なのかもしれません