昨日、6月20日は
我が家の愛犬しぃの5歳の誕生日でした


5年…数字だけを見ると
そこそこの長さに感じますが
実感としては割と短く感じるような
でも、中身を振り返れば
5年分またはそれ以上分の月日は
確かに流れてきたのだろうなと感じます

正確には我が家に来てからは4年半ですが
それでも、やっぱりそう思いますね


人間の5年、犬の5年

過ぎた時間は同じでも
体感としてはどうなのでしょうね

少なくとも
人生において占める割合は圧倒的に違います

10年を過ぎたら
長生きの部類に入る彼女達にとって
“5年”は人生の折り返しと言っても
過言ではないのかもしれません


しぃは正直
犬にしては気難しい子の部類に
入る子だと思います

人見知り、場所見知りも激しいし
基本的にびっくりするほど怖がりで
愛情表現も何となく素直じゃない
どちらかと言えば猫みたいな性格

甘えたい時に擦り寄ってきて
気が済んだら離れていくし
気が乗らない時はイマイチ反応しない
でも、人の姿や見えたり
気配が感じられるところにいたい

親バカ全開な飼い主ながら
“愛されキャラ”ではないなとは思っています

あんたは顔が良いから
可愛いって言ってもらえてるところ
大いにあるんだからね!顔ってすごい!
なんて、冗談で話したこともあります(笑)


今だから言えますが
昔はしぃのなんとなく素っ気ない態度に
懐かれていないのかな
信頼されていないのかな
と悩んだこともありました

特にシーズーという犬種は
元来愛玩犬なので
人懐っこい子が多いんです

私なりの形で
精一杯愛を傾けているつもりなのに
微妙に詰まらない距離がもどかしくて
ちょっと切なく感じたり


普段からブログを読んで下さっている方は
ご存知かもしれませんが
しぃが我が家に来たはじめの1年が
一番家庭の荒れていた時期で
私自身もパニックを
繰り返していた日々でした

彼女自身も
一番甘えたかった時期だったろうに…
心から安心出来る場所を探すのに
必死だっただろうことなんて
容易に想像がつきます

普段は目一杯可愛がっていたって
何かの拍子に人が変わる私のことだって
小さなしぃには
強大な恐怖の対象だったでしょう

でも、気付けばちゃんと側にいるんです
少し手を伸ばせば届く距離で
背中を向けて寝てる

しぃちゃんと呼びかけると
恐る恐る振り返る姿には
何度も胸が痛くなりましたが
それでも、私は
そんな彼女に救われてきました
命を、と言っても過言ではないくらいに

あの時は私にとってもあれが日常で
感覚が麻痺していたけれど
今になって考えてみれば
訳の分からない脅威に日々脅かされながらも
しぃはしぃなりに精一杯
私を許容してくれていたんだな
と、思っています


昔から犬は大好きで
しぃだって
我が家に来た時から何度
『可愛い』と言ったかなんて
もう未知の世界ですが(笑)

その『可愛い』の意味だって
もう随分前から
犬だから無条件に『可愛い』から
しぃだから無条件に『可愛い』に
変わりました


ああ、愛しいなぁ


ねえしぃちゃん

こんなこと言うのは
早過ぎるのは分かってるけど

少なくとも貴女が
今まで生きてきた時間は
ちゃんと幸せでしたか?

私は貴女にもらってばかりで
返せているのなんて
ほんのこれっぽっちだけれど

それでも、貴女の人生?犬生?に
貴女なり幸せを感じられていて
その中にちょっとでも私がいられたら
すごく幸せです


お誕生日おめでとう

やりたいこと、やってあげたいこと
まだまだ沢山あるから
我儘な飼い主のお相手は
大変かもしれないけれど
もう暫く…いや、まだ何年も
側にいてやってね

大好きよ