人って、
“幸せ”に適応するのが
得意過ぎる生き物だから
初めは“とびきり”に感じた幸せも
続いていけばそれは
あっという間に“当たり前”に変わる
だから人は貪欲なのかもしれないけれど
だから人は寂しい生き物なのかもしれないね
特別なものやことにばかり
“幸せ”を感じる私たちにとっては
“日常”は酷く退屈で、つまらないもので
そうなると余計に
ネガティブなものに目が行くようになる
ちょっと嫌なことが起こった日は
たちまち『ついてない日』に変わってしまう
そう考えると
幸せを目一杯『幸せ』として
実感すること自体
実は難しいことなのかな
その日起こった
いろんな出来事を手繰り寄せて
手元に並べて
“幸せ”を探して
時には“幸せ”と名札を付けて
そんなことをしながら
「ああ今日も案外楽しかったかな」って
実感として落とし込むのは
誰かから見たら不憫なのかもしれないけれど
私にとっては
それで今日を幸せな日に出来るなら
とても意味のあることなんだ
当たり前が幸せだと思えるのは
当たり前じゃない不幸が起こるからで
結局は比較でしかないのだから
比較して不幸を意味付けるくらいなら
比較して幸せを意味付ける方が
それこそずっと「幸せ」じゃない?
それが卑屈な私が精一杯考えて出した
「幸せ」に生きる為のひとつの結論