以前のブログから御付き合い頂いている方は
ご存知かもしれませんが
私は“統合失調症”という病気を抱えています


高校1年生の時に発症して
今となっては5年近い付き合いになる
この統合失調症という病気

発症した頃は
それまでの私にとって“日常”だったものが
一瞬でガラガラと崩れ落ちて
滅茶苦茶になって
ただただ病気に翻弄されるようになって

意識も記憶も曖昧なまま
毎日生きている事で精一杯で
私は私なりに苦しかった
本当に…当時の私にとっては
苦しくてどうしようも無かった


以前のブログも含め今までにも
病気の事や
病気との私なりの向き合い方を
私なりの言葉で綴ってきた

そうして綴ってきた気持ちに
嘘偽りは無いけれど

今それを読み返せば
あまりに大袈裟に捉え過ぎていたかなぁ
と思うこともある


そう思えるくらいに
今の私に余裕があるのかもしれないけれど

病気に翻弄されている自分に
自分自身が何処かで可哀想だとか
今ごく普通の日常を送れている人達より
不幸なのかもしれないだとか
自分でレッテルを貼っていたような気もする

誰かから「可哀想だ」と言われる事に
あんなに不快感を感じて、傷付いていたのに
自分では自分自身を
可哀想な人間に仕立てあげていた…のかも


極端な言い方をしてしまえば
私は統合失調症を抱える精神障害者だ

でも、それだけ

だから特別な訳でもないし
多少生きづらさはあっても
だから不幸で可哀想な訳でもない

私は私の人生を
自分が納得いくように生きているし
思うように行かない事も勿論あるけれど
その中でより良い方法を模索してる

他人と何も変わらない


だから、逆に言えば
特別扱いしてもらえるような人間でもない

病気や障害で出来ない事も
実際にあるのが現実問題なのだけれど
だから出来ない事が特別許される訳でもない

今は出来なくても
この先出来るようになる為に
試行錯誤して、工夫して
時には代わりの方法を探して

自分で生きていかなければいけない


出来る事は出来る
出来ない事は出来ない

その幅は人それぞれだから
私の考え方を強要するつもりはないし
病気や障害の重さも様々だから
私の考え方では通用しない世界だって
世の中にはあるのだろうけれど

少なくとも私は
自分がそうして生きていけると信じているし
そうして生きていきたいと思ってる


出来ない事を嘆くより
“今”出来る事を見つける

私はそうしてここまで来た


自分が自分に絶望しなければ
きっと今より高い所へ行ける
…と信じられる程度には
前向きなエネルギーが溜まってきたのは
感謝すべき事なのかもしれないけどね



昔誰かが言っていた
生きる事それ自体が“苦”なのだと

確かに生きていれば
辛い事も起こる
壁にだってぶつかる
挫けそうになることも、挫ける事もある

でも、私はそれを“苦”だとは思わないかな

それも人生を輝かせる
一つの醍醐味じゃない?


皆苦しむ為に生きているんじゃない
充実した今の為に生きてるんだ!
って私は信じていたいな



ダラダラと長いこと書いてしまった上
本題からズレまくってしまいましたが(笑)

私は自分が感じる感覚を信じて
前向きに生きていきたい!
ということです