宮城県 石巻市の雄 天祐丸さん工場復活!!
お葬式のあと、宮城県石巻に向かう。
車の窓から、見る光景。
少しは復旧した道路とかもあるけど、まだ手付かずのところも多い。
同行していたあおい君は、テレビで見る映像と実際自分の目で見ることでの
惨劇の違いを感じ、沈黙しながら、車の窓から外を見ている。
そして、途中、天祐丸さんに今から行く旨を伝えると
事務所と工場が、石巻より40キロ手前の、塩釜に移転させたのでそこにいますよ。
とのこと。
そして、そこへ。
塩釜といえば、震災後、早くに、魚のセリを再開した港だ。港が、太平洋側に100%向いていなかった
ことで、多少ではあるが、石巻漁港等々より被害がすくなったようだ。私の推測だが
そして、天祐丸さん社長と専務である息子さんと再開
前、地震後、救援物資を持って行った時より、いくぶん、顔色がよくなっていた。
「お久しぶりです。いかがですか」と私
「いや~、一時は、もう会社を存続するかどうか迷ったけど、いろんな方々の励まし等々で
また一からやることにしましたよ。でも、石巻漁港が、いつ復旧できるかわからないので、
ここ塩釜で、工場を借りることができたので、ここで、魚の加工を再開することにしたんですよ」
と社長さん
いや~、すごい! すでに工場の入り口には、大きな字で
「天祐丸」と書いてある。
そして、工場には、新しい機械も入り、従業員の方々が、おられた。
機械も何もかも、そして、加工原料魚も加工した商品も、すべて、津波で流された.。
そんな中、ここまで、復活されている。もちろん、地震前に比べれば、まだまだと社長も思っている
だろうが。
「いつまでも、国や人に頼っていても、何も始まらない。自分たちで何か始めないと、
ずっと考えていてもしょうがない。やるしかない。食っていかんとあかんし」と
いや~、見習わねば。俺ちっさなことで悩んでいる場合じゃないよな。ほんと
その後、いろいろと話をする。
そんな中で、
社長が
「あのね、ちょっと待っててね。」と社長
片手にガラス浮き(昔は、網の浮きとかは、ガラス球をロープで包み込み、利用していた。今では、プラスチック
などに代用されていて、このガラス浮きは、かなり貴重なもの。レトロ品)をもってきて
「江嶋さんね。この浮き、前、あぶらぼうず赤坂店いったとき、社長が、こんな昔の漁具や大漁旗欲しいって
いってたから、倉庫に入れておいたんよ。でも津波に、全部流されたんだけど、これ見つかったんよ。
十数キロ離れた海岸で、奇跡的にね。ほら、ここの結び目、これ、私が結んだから、すぐわかりましたよ」
って、わざわざ、保存してくれていたこと、そして、地震後、発見してこんな時に、また保存して下さったこと、そしてそしてこれは奇跡的に、再度、天祐丸社長さんのところに戻ってきた奇跡のガラス浮き。
「あることがたし」
本当にうれしく、感激しすると同時に、私が逆に勇気をもらった。
帰り際
社長から、私そして日本の皆さまへの伝言
「がんばって、死ぬ気で復興させるから、その時は、一杯、魚買ってくださいよ。復興しても、地震前のような
不景気では、商売になりません。笑 なにとぞ、良い日本、豊かな日本でして下さいね」と
もちろん、私にも。アジアで一杯魚売って来てよと。
「ハイ!」
きれいごとだけでは、幸せにはなれない。資本主義であるならば、しっかり経済活動が行われてこそ
人の幸せがあるのだ。
こんな会話をし、帰路に向かう。
帰路中、こんな方々とお仕事をさせていただいて来たことにあらためて感謝する。
あおい君にも、そんな大切な想いなど、もっと知ってもらいたく、そして、私たちが何をしていくべきかをもっと知ってもらいたく、石巻市へ向かう。
まだ、ほとんど何もされていない、壊滅状態の町を見る。
これが、今のまだ現実の被災地だよ。
各箱に貼られている 魂シール!
近いうちに、ぼうずこんにゃく・あぶらぼうず全店舗で
天祐丸さんの西京焼きや味噌漬け焼きを
ランチでフェアーをやります! 食べに来て下さい。
伝統の最高の魚の切り身たちですよ!