被災地へ物資輸送5 | 魚大好き 江嶋力のブログ

被災地へ物資輸送5

福島へ向かう。


一般車通行禁止区域が多い中、特別通行手形をきってくださった宮城県警察高速道路交通警察隊様、そして自衛隊様、ありがとうございました。


福島県 原釜

常磐天然穴子として、弊社もかなりの量を取引させていただいてきた。そして、地震直後、弊社役員が、安否確認を奥様(八巻社長とその奥さんが従業員といつも一緒に働いていて、電話はいっつも奥さんが出てくれる)


そしたら、つながって、奥様は無事とのこと、ただ、社長(夫)が行方不明とのことだった。それから何度も連絡していたが、奥様の携帯もつながらなくなった。


心配だが、連絡の付けようがない。


が、福島県原釜漁港へ向かうと何か手掛かりがあるかもしれないと。


そして、通行禁止の各種道路を迂回し、地震ででこぼこになった一般道を、宮城から福島に南下する。

放射能? そんなもんいってられっか って感じ。さすがに原発の中に入れといわらたらいやだけど。


相馬市到着。どこの店も閉店しているけど、家が壊れたりは見受けられない。


と、漁港近くに車を進める・・・?


うん、道がない?


ここ通行できたぞ?


おいおい、道がここから陥没して、ないやんけ。


車をおり、歩いて、前に進む。


っと、その向こうを見る。また、石巻のような惨劇が目の前に。


そして、迂回し、原釜漁港に到着。


なんもない。建物の骨組みだけ残ってる。いつもピッキングしていた八巻水産が入っている


建物が骨組みだけ。漁港内は、見るも無残。


誰もいない。いつもは活気に満ち、たくさんの人がいたのに。


と、漁港内を家族で歩いている人がいたので、八巻さんがどこに避難しているか聞いてみることに。


「すみません、ここの漁港関係者ですか?」

「そうだよ」

「あの~、八巻さんはどこに非難しているのですか? 地震直後奥様に連絡取れたんですが、それ以来

 連絡取れないんですよ」と私

「八巻さん、あのヤ印(セリの時のあだなみたいなもん)さんかな? 3日前に、遺体で発見されたよ。」


「えっ、八巻さんですよ、社長ですよ。?」と私


「そや、俺仲が良かったから。逃げ遅れて奥さんと子供助はかって、今、仙台に避難しているよ」と


「・・・・・・」


地震前、電話で、シンガポールへ穴子と水だこなど輸出するために、いろいろ相談していた。


沈黙・・・・。


分かりました。涙が勝手に出てくる。


一人で漁港に立ち、行動が取れない。


その後、別の場所にいっていた社員から電話がかかってきて


「社長、今どの辺ですか?」


「八巻さん、死んじゃったよ。」と私。


すぐに合流し、八巻さんの事務所があったところで、二人で手を合わせる。


せっかく、物資もってきたのに。会えるの楽しみにしていたのに。


途方にくれ、車に戻る。何もできない。


私の持っている奥様の携帯番号は、やっぱつながらいない。


とそこに、先ほどの漁港の方たちが、通りかかった。


「あの、今回、八巻さんに物資もってきたんですが、このような状況です。安否をお知らせいただきありがとう

ございます。もしよろしければ、お車で来られているので、あれば、これら受け取ってもらえませんか?」と私


すると3人のうちの一人の女性が


「私の子供と八巻さんの奥さんの子供が仲がいいから、今奥さんに連絡とってみるわね」と


そして、私の前で電話をかける。


「あの~、今東京から江嶋さんきてますよ・・・・・・・・・・・・」


そして変わる私。

「社長亡くなられたですね。あの、あの~・・・・・」と話ができない私は、その携帯を元の女性に戻す。


そして、なんと、奥さんが、漁港近くの工場に片づけにこられているとのこと。ここから5分ぐらいのところ。


そして、そこへ向かう。