僕は、青森県に特別な思い入れがあります。

それは、青森県にたくさんの友達と、たくさんの

思い出があるからです。


先日、そんな青森で県知事選挙がありました。

県知事なんて、誰がなっても同じかもしれません。

しかし、今回の選挙には特別な意味があったと

思っています。それは、原子力施設に対する

青森県民の考え方が結果に現れるということ。


原発推進派の現職知事に投票するのか。

原発反対派の新人候補に投票するのか。


どちらが当選しても、沖縄の米軍基地と

同じように、結局は、原発のゴミが青森県に

集められてしまうのかもしれません。


それでも、県民たちは「No」と言っている。

それだけでも大きな意味があると思うのです。


沖縄の米軍基地は、政治の圧力に屈する結果に

なりましたが、県民が受け入れたわけではなく、

国に押し切られたのです。少なくとも、歴史には

そう残りました。今は基地があっても、遠い将来、

何かが変わる可能性は残されています。


ところが、青森県民に「青森県」を愛する心や

プライドは、まったくないことがわかりました。

僕の友達は、全員、地元を愛する人ばかりだと

思っていましたが、どうやら勘違いのようです。


「青森県は、日本のゴミ箱!」


危険で近寄りたくもないゴミを、青森県に捨てる。

普通は嫌がるところですが、青森県の人たちは

「捨てていい」どころか「捨ててくれ」と言う。


青森県民がゴミを捨てられ、喜んでいる!


SMの女王様にツバを吐かれて喜ぶのとは

意味が違います。これはプレイじゃありません。

札束で頬っぺたを叩かれ、「金が欲しかったら

ケツの穴を舐めろ」と言われて、普通だったら

「いくら何でもそれだけはできません!」

言うところですが、青森県民の答えは・・・。


「ケツを舐めるなんて、とんでもない!

もう2割ほど金を積んでいただけるなら、

ウ●コも食べさせてもらいますがな!」


もう「何やってんだよ、青森!」とか

明るいトーンでツッコむこともできません。

スラム街で空腹に苦しむ子供が、覚醒剤で

空腹感を紛らわしているのを見ているよう。


哀れです。


自分でリスクのある暮らしを選んだのだから、

六ヶ所村に何かがあって被曝しても、文句を

言ってはいけません。汚いお金の代わりに、

ヨウ素やセシウムを吸いまくり、リンゴ農家も

全員野たれ死ぬ覚悟だと言っているんですから。


残念なことに、青森県民は真実を知りません。

いろんな言葉で騙されて、原子力施設があると

いうことが、ありがたいと思っているのです。

原子力安全委員会の斑目委員長が言っています。


お金を積めば必ずどこかの自治体は落ちる。

10積んでダメなら20積み、20積んでも

ダメだったら、100、200と積んでいけば、

必ず動く自治体はある。要するに「金」だと。


この斑目委員長の言葉はYoutubeにアップされて

いますので、皆さんもご覧いただけると思います。

まるで映画の悪役のセリフそのままです。


さて、今日はこんな前フリをしてみましたが、

話したいメインテーマは、原発の雇用について。


皆さんは、原発があることによって、どれだけ

雇用を生み出されていると思っているでしょう?


ご存知のように、原発の施設の中で働く人は

東京電力の社員ではありません。そりゃ数人は

いるかもしれませんが、ほとんどが下請け会社、

孫請け会社、孫々請け会社といった方たちです。


下請け会社の社員くらいだったらいいですが、

その下の契約社員だった日には、もう悲惨です。

一言で「原発で働いている」と言ったって、

末端にいる人たちは、安月給の使いパシリで、

けっして裕福な暮らしをしているわけではない。


ましてや、危険なことをするのは、いつだって

給料の安い下請けの人です。これまでに福島の

原発でケガをされたり、亡くなってしまった方々に、

東京電力の社員が、何人いたでしょうか?


僕の記憶が確かなら、ほぼ全員が下請けです。

どうして、こんなことが起こってしまうのか。

それは、どうして「協力会社の社員」という

存在が必要なのかを考えたら分かることです。


普通に考えたら、わざわざ別の会社に頼まず、

自分の社員を使ったらいいだけのことですよね。

その人だって、小さな下請け会社で働くよりも、

「東京電力の社員」だった方が嬉しいはずです。

立派な福利厚生施設だって使えますし。


ところが、下請け、孫請け、孫々請け会社と、

こんなにたくさんの協力会社が存在するのは、

そこが危険な原子力発電所だからです。


風力発電や太陽光発電だったら、

理論上、これらの会社は必要ありません。

下請け会社にお願いする莫大な予算の中から

お金を抜いて、私腹を肥やそうとする人が

風力発電や太陽光発電をする時にもいるかも

しれませんが、それは本来の目的ではない。


どうして原発に「下請け会社」が必要なのか。

それは、毎年数人ずつ放射能で死ぬからです。


死ぬのが東京電力の社員ではないことが

非常に重要なのです。原発を推進するのに、

同僚が死んだら、いろいろと面倒臭いでしょう。

東京電力の社員は死んではいけないのです。


危険な作業は、下請け会社の人たちがやるので、

死ぬのは下請けの人。下請けの人が死んだって、

我が社の社員ではないから、ノータッチです。


東京電力としては、放射能のせいで死んだと

認められて労災が下りても、下請け会社が

やっていることなので、口先だけの御冥福を

お祈りしておいて、銀座の高級クラブに行き、

美人ホステスの太股をタッチしていればいい。


太股タッチ! 死人は勘弁! ノータッチ!


まったくうまくないことを書きましたけれども、

皆さんは原発が雇用を生んでいると言いますが、

原発を建てられた街で生まれた雇用というのは、

銀座の高級クラブでホステスの姉ちゃんの

太股をタッチできる方でしょうか?


しかも、東京ディズニーリゾートのように、

そこだけで1万人ぐらいが働いているのなら

価値がありそうなものですが、事故が起こり、

それをどうにかしようと思っていた英雄たち。

何って呼ばれていたか、覚えているでしょうか?


「FUKUSHIMA50」。


要するに、たったの50人だったわけです。

もちろん、休みだったり、事務をしていたり、

実際には、もっと多くの人が原発で働いて

いるでしょう。今なんて、あいりん地区から

騙されて連れて来られている人もいるので、

かなりの人数になっています。


しかし、それでも自動車の生産工場よりも

ずっと少ない人数しか雇用できていません。

トヨタの工場とは、ケタが2つ違うでしょう。


それを言うなら、風力発電や太陽光発電でも

運転する人、管理する人は必要になりますから

雇用が生まれるということは、変わりません。


発電の方法が変わるだけです。


放射能という危険なものを受け入れる

「悪魔の契約」を交わし、近隣の漁師たちは

働くことを辞め、風光明媚な地元の景色も捨て、

事故の時には命を危険に晒すけど、その代わりに

立派な道路や施設を手に入れる。


生まれた雇用が、さぞかし良いものかと思えば、

年に数人ずつ死ぬ、安月給のロシアンルーレット。

東京電力様の社員がお亡くなりになってしまうと、

社内がゴタゴタするので、テメエみたいな田舎者が

代わりに死んであげる仕事です。


なんて素敵な仕事でしょうか?


問題なのは、原子力発電所は事故が起こらず、

正常に運転できていても、そこで働く人たちは、

必ず被曝をするので、年に数人ずつ死ぬことです。

これは原子力発電所の宿命なので、防げません。


他の発電方法なら、通常運転で死ぬことなんて

あり得ませんが、原子力発電所だけは違います。

ただでも人が死ぬ。事故が起これば、数人どころか、

数百万人という甚大な健康被害が出てしまうのです。


そんな原発ができることが、嬉しいでしょうか?

無駄に整備された広い道路が欲しいですか?


それに、これを言ってしまえば、雇用のために

原発が必要だと言う人を、完全に論破できます。

まるで「逆転裁判」です。


原発のまわりには、たくさんの農家や酪農家が

暮らしていました。そういった人たちは家畜を

見殺しにして逃げることになり、もう二度と、

あの場所で暮らすことはできなくなりましたが、

原発に雇用されていたわけではありません。


原発なんかに頼らずとも、自慢の畑や牛で

立派に生計を立てておられた人たちです。


原発が奪った雇用は、

どう考えるのですか?


原発で雇った人より、はるかに多くの人が、

原発のせいで仕事を失くしている、この現実。

1000人の雇用のために、1万人の人たちが

職を失ったのでは、意味がないどころか、

なかった方がマシです。


残念なことに、現在の技術をどんなに結集しても、

「絶対に安全な原発」を作ることはできません。

これは明日、詳しく話しますが、絶対安全な原発が

できる確率より、僕が榮倉奈々ちゃんと結婚できる

確率の方が圧倒的に高い。そして、事故は起こる。


仕事だけなら、別の場所で働けばいいのかも

しれませんが、家を失って、村を失って、そこに

あったはずの貴重な文化や風習、お祭りなども

失うことになったのです。


それでも「原発の」雇用が大事ですか?

他の産業を誘致するのではダメですか?

どうしても「原発」なのですか?


何人の雇用のために

どれだけの人が犠牲に

なればいいんですか?


僕たちは雇用を生むために、これまで数々の

無駄なことをしてきました。必要ない道路や

必要ない施設、必要ないダムを作ってきました。


そのお金があったら、国の借金に困らなくても

済んだかもしれないし、消費税も上がらずに、

こんな時でも補償ができたかもしれません。


しかし、出費はそのまま。「海外だったら

もっと税金が高いんだから、我々も世界に

合わせるべきだ」と、わけのわからん理論で

税金を上げ、前回の選挙では、どこの政党も

「国会議員の数を減らす」と約束しましたが、

そんな簡単なことすら実現できていません。


小室哲哉と一緒です。


ただでも返しきれないくらいの借金があり、

このたびの原発事故で、被害を認めてしまうと

さらに財政が厳しくなる。なのに、無駄遣いは

やめられない。原発だって止められません。

そして、とうとう国が手を染めたこと。


「安全詐欺」。


こうなった以上、もう突き進むしかありません。

甲状腺がんになっても、認めるわけにはいかず、

国はとことん嘘を突き通すしかないでしょう。


これは、放射能のせいなんかではありません。

あなたの子供が勝手に「がん」になりました。

福島に住んでいたのは、ただの偶然です。


一度嘘をつくと、どんどん嘘が大きくなる。

皆さんも一度くらいは経験したことがあると

思いますが、たくさんの患者が出た後で嘘を

突き通すのは、かなり強引な力技です。


そうならないためにも、僕は国にも警告して

いるのですが、残念ながら、僕が「むやみに

ネットで不安を煽る反社会行為のアホ」

扱われているので、聞いてももらえません。

ですが、僕は原発を推進する人に聞きたい。


たかだか数千人の雇用と、数千万人の命、

天秤にかけても、雇用が大事なのですか?


雇用だったら、原発でなくてもできるのに、

あえて原発で雇用しなければなりませんか?

常に人材難の「介護福祉」などで雇用を生む

方法も検討せず、「原発」の一択ですか?


それに、廃炉にすると決まれば、そこにもまた

雇用が生まれます。廃炉にするための作業を

する人たちが必要だからです。別の発電所を

作るための雇用も必要でしょう。


生活水準を落とすと言っても、電力がゼロに

なるわけではなく、原始時代に戻るわけでも

ありません。80%は今まで通りなのです。


今だって原発がなくても、生活できています。

それは冷暖房が必要ない時期だからと言うなら、

夏の1ヶ月だけ動かすのでもいいかもしれない。

それくらい使わないように努力する必要がある。


原発を推進するということは、100%の電力を

使いたいということです。今まで通りにネオンを

ギラギラさせて、OLがブランケットをかけるほど

ガンガンに冷房をかけて、ほとんど人が通らない

場所のエスカレーターも動かしたいということ。

そのためなら、人が死んでもいいということです。


たとえ原発のまわりに住んでいる人が

家を失っても、ピンサロのネオンサインが

ピッカピカしている方が楽しいということです。


だとしたら、「このたび原発で避難を余儀なく

された皆さんにはお見舞いを・・・」なんていう

茶番は一切必要ありません。こう言いましょう。


おう! 福島の田舎者ども! 元気か?

えっ? 元気じゃない? 家がなくなった?

バカヤロー! オマエの家なんぞ知らんがな!

オマエの家より、俺のような都会人のエアコンが

つかない方が問題だろうが! 暑いの苦手だし!


えっ? じいちゃんの畑で、もう米が作れない?

知らんがな! テメエのジジィが働けなくても、

テメエが原発で雇ってもらえや! 通常運転で

死ぬ人がいるとか言って、ビビるんじゃねぇぞ!

こちとら、テメエみたいなチキン野郎のせいで、

夏にキンキンに冷えたビールが飲めないとか、

まっぴらゴメンだからな!


えっ? 子供が病気にならないか心配?

やかましいわ! 安全だっつってんだろうが!

国がよぉ! 政府がよぉ! 安全だから地元の

野菜をモリモリ食べていいって言っただろぉ?

従えや! そんで、「子供、子供」、うるせぇわ!

子供の前に、まず都会人である俺だろうが!


おい、新潟! 事故ってもないくせに騒ぐな!

こちとら、いざとなったら米は食わない覚悟だ!

今の時点で、新潟の米も既に怪しいんだから、

ガタガタ言うんじゃねぇ! 越前ガニ? 食わん!

毎日、タイ米でタマゴチャーハンにしてくれるわ!

だから、黙って原発動かしやがれ!


お・・・、漢(おとこ)。


ここまで言い切れば、きっと文句を言う人は

いないんじゃないでしょうか。もはや清々しい!


原発は必ず犠牲を生みます。汚いお金によって

一時的に自治体の経済が潤うかもしれませんが、

事故が起こった時は、村を丸ごと消滅させるという

「原発の保証人」になるのです。


僕たちは、そのことを知らずに生きてきました。

でも、事故が起こって、すべてが明らかになった。

「絶対起こらないから安全だ」と言ってきたのも、

すべてが嘘だったと証明されたのです。


それでも原発は必要なのでしょうか?