じいちゃんは、いつも大きな銀色のラジカセで、

ラジオを聴きながら眠るのが習慣だった。

もし、形見分けしてもらえるなら、僕はじいちゃんが

使っていた、あの大きな銀色のラジカセを譲って

ほしいと思う。今でも思うが、あのラジカセは、

ゴツくて、かっこいい。


小さい頃、僕は、じいちゃんの習慣に憧れ、よくラジオを

聴きながら眠ったりした。そのうち、中学生ぐらいになると、

ラジオ番組にハガキを書いたりする「ハガキ職人」に

なったりもしたが、今でも時々、ラジオを聴きながら

眠ることがある。芸人さんの面白い話に夢中になると、

ついつい大人になっても夜更かししてしまうあたりは、

中学生の頃と変わらない。


じいちゃんとの思い出で、一番印象に残っているのは、

やっぱり、じいちゃんのバイクだ。じいちゃんは、自作の

サイドカーをつけたスーパーカブに乗っていて、

小さい頃、よく僕と弟とサイドカーに乗せ、小さなドライブに

連れて行ってくれた。ドライブコースは本当に近所だった。

ばあちゃん家から、半径500mほどの距離を走るだけ。

でも、僕たちにとっては、ばあちゃん家の近所なんて

まったく知らない土地なので、走るだけでも新鮮だった。


だから、ばあちゃん家に行くと、必ず、じいちゃんの

バイクでドライブをした。じいちゃんが仕事から

帰ったばかりで疲れていても、子供の僕は、

バイクに乗せてもらいたいと、ワガママを言っていた。


でも、じいちゃんと一緒に、バイクでドライブするのが

大好きだったのに、ある日を境に、じいちゃんは僕たちを

ドライブに連れて行ってくれなくなってしまった。


僕のおなかには、ちょっと大きな傷がある。

「手術でもしたの?」と聞かれるほど大きな傷だが、

実は、じいちゃんとのドライブの際についたものだ。


ある日、ドライブ中に近所の知り合いに呼ばれた

じいちゃんは、僕と弟をサイドカーに残して、

エンジンをかけたまま、知り合いの畑に行った。

じいちゃんのバイクに憧れていた僕は、当時、

自転車も乗りこなす年齢だったから、バイクの運転も

簡単にできるだろうと、アクセルをひねってしまったのだ。


動き出したバイクを止めようとしたけど、スーパーカブは

左手の前にあるレバーはブレーキではなくクラッチだから、

いくら自転車と同じようにバイクを止めようと思っても

止まるはずがなく、じいちゃんが目を離していた隙に

僕はバイクごと、よりによって有刺鉄線に突っ込んだのだ。

いっぱい血が出て、体中に痛々しい傷ができた。


以来、じいちゃんは僕たちをバイクに乗せてくれなくなった。

僕はそれでも、サイドカーに乗りたかったんだけど・・・。


なんだか仕事の合間に、ちょびちょび書いているので、

支離滅裂な文章になってしまっているけれど、

今回のタイトル「じいちゃんのピーナッツパン」。

これにも深い思い出がある。


実は、じいちゃんには左手の人差し指の第一関節がない。

じいちゃんは左利きなんだけど、若いころに機械に

手を入れて切断してしまったらしい。だから、じいちゃんが

パンを作ってくれる時には、バターやピーナッツを塗る時、

親指と中指で器用にヘラを使って、作ってくれるのだ。


僕は、じいちゃんが作ってくれた「ピーナッツパン」を

いつか自分の孫に作ってあげたいと思っている。

僕がじいちゃんになった時に、同じパンを作ってあげて、

思い出にしたい。僕が遊びに行くと、必ず朝食に作ってくれた

あのパンの味は、忘れられないから・・・。


じいちゃん特製のピーナッツパンは、厚切り(4枚切り)の

パンに、バターを塗って、その上にピーナッツバターを塗り、

さらに、その上からハチミツをかける。とても甘いんだけど、

それがおいしくて、僕はじいちゃんのパンが大好きだった。

でも、あのピーナッツパンを、今はもう食べることができない。


なんだか寂しいな・・・。


今年の夏は、じいちゃんの墓参りに行けるぐらいの

時間を作りたいと思う。でも、でも、でも・・・、忙しい。

ごめんよ、じいちゃん!


じいちゃんの職人らしいところを見習って、せめてブログが

お笑い部門で1位を取れるぐらいまで頑張るから。

目指すは、笑いを生み出す職人かもね。