今は、航空業界を目指す人達にとって、本当に恵まれた時代と言えるだろう
雇用形態は契約社員からのスタートも多く、又昔と比べると待遇も・・・いやそれを比べる事すら難しいけれど・・・

しかし、物事には必ず明るい面もある!!

この業界も又然りで、多くの企業はグループ会社化され、新規参入の会社も数多くあり、年齢の制限の基準も高くなった今、自分を信じて努力さえすれば、必ずやそれぞれに合った会社、自分を必要としてくれる会社に巡り合えるはず!! 私は常々そう思っている

さて、時代を私の就職活動時に移してみよう

ご存知の通り、バブル崩壊後、JALが新卒の採用を初めて中止した年であり、残るはANAとJASのみという状態で(一部コミューター等あり)年齢制限も23歳までという、思い返しても、聞くも涙、語るも涙の様な時代だった

23歳までに入社出来なければ、外資系に転向するか、進路変更を余儀なくされる中
私も自分の未来に不安を隠せずにいた

当時、エアライン業界を目指す学生の間では「知性のJAL、体力のANA、美貌のJAS」等と、いわゆる「(企業側からの)採用基準」がまことしやかに囁かれたりもしていたが、あながち間違いではなかった様に思う

CAを目指す以上、誰もが国際線を志すのが当然の心理だとするならば、まず狙いを定めるはJAL そこには高い高いハードルがあり、知性はもちろんの事、圧倒的な総合力が求められていた様に思う

そのJALに追いつけ追い越せで、とにかく勢いがあり、サービスやキャンペーン等いち早くオリジナリティを打ち出すANAは、これからのANAを共に創りあげて行ける様な、元気印、体育会系の女性が好まれていた様に思う

国際線というフィールドで他社から遅れを取り、地方路線が中心のJASは、やはり短時間のフライト、かつ狭い機内の中でお客様と接する事から、美貌が重視されていたのだろうか?
その点は定かではないが、少なくとも「JASが第一希望です!」という受験生はまずいなかったと記憶している

その為、JASの面接試験では、企業研究がしっかりと出来ているかを試す質問が数多くあり、保有機材や就航路線等かなり詳しく聞かれた記憶がある
会社もやはりどこかに3番手という意識があり、受験生の本気度を企業研究の度合いで計っていたと言えるだろう

さてそんな中、私がどこの会社を第一希望としていたかと言うと・・・・
答えは、JASだ そう誰も希望しなかったJASである
でもそこには深い理由があった

当時の私は自分の全てに自信がなかった
大学と同時に夜間のエアライン専門学校に通っていたが、学校での私は、今思えば本当の私ではなかった

エアライン業界を本気で目指していたものの、どう努力していいのかもわからず、本当の自分を見出せないまま、就職活動を終えてしまった様に思う

人に「ここをこう変えなさい」と言われれば、そうなのかな?と思い、又ある人に「このままでいい」と言われれば、又、そういうものなのか、と
要は自分というものがなかった 自信がないあまり、自分に確信を持てず、人にどう思われているかが不安で、人と自分を比べてばかりいた
そんな「ブレた私」を企業が採用してくれるわけもない 結果は当然の事ながら、敗退だった

しかも私は、少ない選択肢の一つであるANAを受験せずJASのみしか受けなかった
そこには私ならではのある逃げがあった様に思う
私はJASが第一希望なのだから、と
要するにANAを受ける根性すらなかったというわけだ

就職活動も近づいたある年の瀬、尊敬してやまないクラスメイトから年賀状が届いた
彼女はANAが第一希望で、後に新卒入社を果たしたクラスで唯一の女性だった

その年賀状には「あけましておめでとう」という一連の決まり文句の後にこうあった

「目指せB級志向!!!決して2流になれというのではなく、これからも千暁ちゃんなら
 ではの一流を目指して!!」

あの時、彼女は私の想いを全て悟っていたのかも知れない

自分に自信がなかったあの頃
B級を目指すふりをして自分を誤魔化していた
欲しいものを欲しい!! そう言える勇気すらなかった

でも大切なのは、周囲の目や世間の評価ではない
精一杯の努力の上に成り立つ自分が信じる道をただひたすらに歩む事
それこそが、自分にとっての一流の道なのだ、と
あの時の戦友が、あの時の自分が、そう教えてくれた