私は中学高校の6年間、大阪の生野区にある私立の女子校で過ごした
生野区と言えば言わずと知れた大阪の有名なコリアンタウン
関東で育った私はその事を全く知らず、当時その学校が関西では1、2位を争うトップクラスの進学校だった為、憧れて憧れてただひたすらに努力を重ね、ようやく入学する事が出来た
ところが実際に入学してみると、何もかもが私には合わず、その当時の私にはとてつもなく意味のない場所に思えた
いや、あまりにも勉強をし過ぎて燃え尽き症候群になっただけなのだろうか
いずれにせよ、私は高校から神戸にあるインターナショナルスクールに編入を希望して
(実際には行かなかったのだが・・・この話は又別の機会に・・)その学校そのものには何の魅力も感じず6年間をただただ無駄に過ごした

そんな私だったが友人には本当に恵まれた
中でも学校のロケーションからだろうか
在日韓国人の学生が非常に多いのが特徴で、学校側も韓国と日本の歴史についての教育や多文化共生に力を入れていて、私にとってはその点のみが唯一この学校を好きでいられたところだ
あれは確か中学2年生の時だった
その日私は大親友であるTちゃんに、分厚い手紙を渡された
彼女はいつもとは違う真剣な表情で、「自宅に帰ってから一人で(その手紙を)読んでね」とだけ言った
その手紙には、自分が在日韓国人であること その事をずっと言えずに隠してきたという事 又、普通の日本人よりスタートラインが下だから、人の何倍も頑張って後ろ指を指されない様に生きていかなくてはならないという事 最後に、これからもずっと友達でいて欲しいとあった

在日の方には二通りある様だ
学校でも本名を名乗っている人と通名で通している人
Tちゃんは通名だったので、私は彼女が在日だと言う事を全く知らなかった
もちろん、その事実を知ったからと言って私が彼女を大好きな気持ちに何の変わりはない
ただ、これまでと違った感情が加わったとするなら、そこに「尊敬」という二文字が入った事だ
その事を伝えるために翌日彼女のところへ行った時二人で何故か大泣きをしたのを覚えている
その時、彼女は、絶対に第一志望である神戸の大学に入り、JALの国際線のCAになる!!と私に誓い、何年か後にそれを現実のものとした

「普通の日本人よりスタートラインが下だから・・・」
この言葉が今でも私の心に突き刺さって離れない
今でこそ日本は完全なる韓流ブームで、差別どころかむしろ日本人は韓国や韓国人に憧れの感情を抱いている
でも一昔前の世代であったならどうだろう・・・
皆さんこの日本という国で言い知れぬ苦労や忍耐を重ねてこられたはずだ
そのスピリットを受け継いでいるからだろうか 
私は同じ学校の在日の友人達から、生きる上での「気概」の様なものを学んだ 

ある人はCAとなり国際色豊かな舞台で自身のアイデンティティーを活かし、またある人は就職する上での差別など一切無関係な医者や弁護士となり、自身そのものの腕を活かしている

学校を卒業して、時はずいぶん流れたが、私の中に平和ボケした日本人の色が少しでも顔を出す時、この学校で彼女達から学んだ「気概」を呼び覚ます