ここ数年、「コミュニケーション能力」という言葉が「企業が求める人材像」の項目をやたらと賑わせている

これ程まで必死になって企業がそれを求めるという事は、裏を返せば、コミュニケーション能力に乏しい人間がそれほど増加してきたという事になるのだろうか・・・?

日本人は昔から礼儀正しい、マナーがいいという国民性をひとつの売りとしてきた
私もずっとそれに何の疑いも持たず、又誇りにすら思ってきた
しかし、その考えが一気に崩れたのは、やはりカナダに留学した事がきっかけだろうか?

そして肝心なコミュニケーション能力・・・
これに関してはやはり世界的レベルで見てもかなり低い位置に属していると言えるだろう

帰国後、これまで気づかなかった日本人の行動に一つ一つ目が行く自分がいた
バスに乗るとする 
降車する際、運転手さんの「ありがとうございました」の一言に対して、一体どれだけの人が反応しているといえるだろう
皆、無表情で急ぎ足にバスを降りて行く 海外では到底ありえない光景だ

レストランに食事に行ったとする
お会計の際キャッシャーでお金を支払った後「ごちそう様でした」の一言が言えればまだ上等 
食事がどんな風においしいかと、自分なりの感想を店員さんに食事をしながら表現できる人をまず見かけない 
これもあり得ない事

エレベーターの中等はあまりにそれが顕著だ
皆、息を殺して急に押し黙る これは日本の七不思議のひとつとして外国人が珍しがる光景の一つでもある

「年功序列」という不思議極まりない年齢の壁もある
人生の先輩として年長者を敬うというのは、とても大切な事
しかし、その反面年齢という枠ですぐに垣根を作るのも又日本人ならではだ

そして最大の難点 
それは、子供の頃からすりこまれた「協調性」という名の没個性だ

カナダで初めに先生から言われたこと

それは「日本人の留学生よ!Discussは喧嘩ではない!!!」という事だ

当初私はその意味を深く理解できずにいた

現地校に入学する前最初に通った語学スクールには、英語を母国語としない留学生が溢れていた
その中で何か一つの議題について「Discuss=話し合い」をする場面があったとする
皆がそれぞれに意見を交わし合う中、日本人の学生だけが即座に押し黙ってしまう傾向にある
何故なら、意見がぶつかる=喧嘩=協調性がない とみなされるのが日本文化であり
幼い頃から何より「和」を重んじる事を美徳とされてきた私達にとって人の意見に意見したりする事はもっともはしたない事であるからである

思えばどれほどのシーンにおいて大切な「コミュニケーション」の機会を逃してしまっている事だろう・・・・

私の教え子の一人に「若年寄」というあだ名の学生がいた(笑)
年寄り・・・と名がつくものの、彼女は正真正銘23歳のれっきとした若い女性だ
では何故そんなあだ名がつけられたのか?

それは彼女が従来の固定概念に縛られる事なく年齢も国籍も性別も超えてあらゆる人とのコミュニケーションをいとわず、その年齢からは想像もつかない人生経験を持っているからだ

専門学校は大学に比べて圧倒的に規模が小さい 又2年間という短い期間の中で人とは違う経験を積んで行く事には限界がある
当然大学生に比べるとアピールできる事柄にも限りがある為、それを懸念した私は、接客業のアルバイトやボランティア、短期留学やアクティビティ等出来るだけ多くの機会を学生に勧めてきた

彼女は恐らく私が勧めたその全てに積極的に応募し自らコミュニケーションの幅を広げてきた

その経験が彼女を唯一無二の存在としてより輝かせ、22歳の若さで外資系の航空会社のCAとして活躍のチャンスを手に入れた
(外資系は若さより経験が重視される為、むしろ若い方がチャレンジが難しいとされている)

コミュニケーションの幅を広げる機会は日常のあらゆる場面に溢れている
大切なのは自らがそれに気づくこと 自らがその中に飛び込む勇気を持つ事
そうする事で、自分を豊かに、周囲に対して柔軟に・・・