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那覇市のフラワーアレンジメント教室 Cielo Azul~シエロアスール~
新垣(しんがき)明美です。
「ひめゆり平和祈念資料館」
ここに来るのは何年ぶりでしょう。 7年ぶり?
去年・今年とコロナ禍が続き、修学旅行のキャンセルや観光客の減少で来館者は激減。
存続の危機というニュースを何度も目にし、近いうちに行かなくては・・・と思っていました。
そんな矢先、沖縄タイムス副読紙「ほ~むぷらざ」に、資料館のことが掲載されていました。
このタイミングに「これはやっぱり行きなさい。」ということなんだな、と不思議な気持ちを抱きながら糸満市へと向かいました。
中学校の教師をしていた頃、平和教育の一環として生徒を引率して何度か訪れたことがあります。
その時は大勢の生徒と一緒だったので、じっくり展示を観ることはできませんでした。
やっぱり観ているようでちゃんと観ていなかったんだな、とつくづく思いました。
「ひめゆり平和祈念資料館」は、沖縄戦に動員されたひめゆり学徒隊の実相を伝えるために、1989年に設立された民間の施設。
今年4月、2004年の改装以来17年ぶりにリニューアルされました。
「戦争からさらに遠くなった世代へ」をテーマとして、戦後生まれの職員が初めて担当したのだそうです。
資料館の敷地に入り、奥へ進んで行くと右手の方に「ひめゆりの塔」が見えて来ます。
「ひめゆりの塔」は沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒や教師のための慰霊碑。
わかりづらいのですが、写真右下にある小さな石碑がそれです。
(写真中央にあるのは納骨堂)
ゴツゴツとした岩肌をさらしているのは伊原第三外科壕です。この壕では多くの生徒や教師が命を落としました。
そして資料館の前で大きく枝を揺らしているのが相思樹。
相思樹はマメ科の常緑樹で、台湾・フィリピンが原産地。沖縄には台湾から導入されました。
細葉がそよそよと揺らぎ、丸いぽわぽわした黄色い花が咲いています。
ひめゆりの女学生たちが学校生活を送った校舎前には、相思樹の並木が続いていたそうです。
当時の校舎を模したような赤瓦屋根の資料館へ入っていくと、第一展示室へ続く通路の先に、相思樹の並木道を歩く女子学生たちの絵が・・・。
第一展示室のテーマは「ひめゆりの学校」。
あの頃の女学生たちも、今の中学生や高校生と同じように部活や勉強に励み、友情を育んでいたことが伝わってきます。
カラフルなイラストも学校生活を生き生きと描いていて、これなら文章を読むのが苦手な子にも、直感的に伝わりそうです。
未来への希望を持って、普通に学校生活を送っていた女学生たちが、想像を絶する戦場へと駆り出されていく。
その経緯が、歩みを進めるごとにわかるようになっています。
ひめゆり学徒たちの遺品、写真、そして伊原第三外科壕を再現したジオラマ。
この薄暗い壕の中で、眠る間もなく負傷兵の世話に追われていたという学徒たち。
壕の外で水汲みやご飯の支度をするのも命がけだったといいます。
病院という言葉のイメージからは程遠く、そこは砲弾飛び交う戦場でした。
今の私には、到底一日も耐えられそうにありません。
「ひめゆり」の名前の由来も今回初めて知りました。
沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校は財政的な事情から併置校となりました。
それぞれの交友会誌「乙姫」と「白百合」も一つになったので、両方の名前を取り「姫百合」と名付けられたそうです。
両校から動員された生徒・教師たちを「ひめゆり学徒隊」と呼ぶようになったのは戦後からだということでした。
戦争体験者が高齢となり、戦争体験を自ら語ることができる世代は、県人口の1割前後だそうです。
平和教育に少し関わった者として感じたのは、子どもたちに「他人ごと」ではなく「自分ごと」として考えてもらうことの難しさでした。
「戦争からさらに遠くなった世代」へ、どのように継承していけば良いのでしょう。
私にできることは何があるのでしょうか。
相思樹の細い葉の間から差してくる弱々しい木漏れ日を浴びながら、思いを巡らせました。
6月23日 慰霊の日が近づいています。
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沖縄県 那覇市のフラワースクール Cielo Azul~シエロアスール~の新垣明美でした。
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