38歳の時だった
その年の5月はすでに妊娠5か月であった
年棒制のクリニックで働いていた私は
給与査定が5月だった。よっておなかを白衣でカバーし
何食わぬ顔で働いていた。
妊娠していることがわかれば、産休、育休を取ると思われ
給料も据え置きになるに違いない
それでは不利だと考え、5月の給与が20万円くらいアップしたのを
確認してから妊娠宣言をした
でも相変わらず勤務形態は変えなかった。
週5日シロノクリニックで働き
週2日まつしま産婦人科病院で日勤と当直をこなし
産み月の10月27日朝3分ごとの陣痛あるも出勤
外来で妊婦さんを診察し
10月27日15時破水したため
そのまま病院に入院
しかしなかなか生まれず、
自分で夜中に点滴の子宮収縮剤スタート
それでも生まれず
10月28日朝9時になった
病院職員の皆様が出勤してきて 朝の9時みんなで
カップで引っ張って、おなかを押してくださった
よいしょよいしょ
昔話の大きなかぶの光景に似ていた
まだ頭半分しか出てないのに
「やったぁこれで働ける―」とガッツポーズの私
みんなは「先生まだ出てないいきんでー」と苦笑い
で、ついに9時20分にすっぽーんっと分娩となりました
産婦人科医としてすべき経験は果たしたと
満足した私は
さっさと2泊3日で退院し
シロノクリニックで働き始めた。
昇給してもらったのに育休なんか申し訳ない
というより、私には産休育休いらないし。
休むというのが大嫌い
とにかく働いてないと生きてる気がしない
ってことで、今じゃ娘は
「産んでもらった記憶がない
私はパパが卵をあっためてくれて
生まれてきたの」
と憎らしいことをいうようになった
つわりもなければ、妊娠中なーんにもなかった
安産体質で本当に楽しく働けるのがよく分かった
これなら何人でも産めるな
と思ったけど
パパからは「本当に産むだけで
そだてない人だから
一人で結構です」
ときっぱり二人目は断られてしまいました
患者さんからは「あら?先生おなか大きかったけど、、、」
と聞かれ、「産んできました先週」と答えドン引きされてました。
極端な私、また60歳になったら産んでみたいなー