誤解されやすいのが厳密に言うと「エデン」と"エデンの園"は同義ではないということ。
例えるならエデン区エデンの園町のようなもの。
『わかってるよ 例の果実を かじったんだよ もう後に戻れない』
「例の果実」とは所謂禁断の果実の事でエデンの園を追い出された状態を意味しています。
故に本詞は"エデンの園=楽園"が舞台ではないようです。
『パズルをしてみようよお互いの凸凹で ひとつずつはめてゆけばどんな形になるだろう?』
実に作者らしいフレーズですね。
「パズル」に見立てた「お互いの凸凹」には心はもちろん男女の身体的な特徴も意味しているのでしょう。
通常「パズル」で出来上がるものは"絵"等を想像します。
それを「どんな形」と表現したことで立体的な印象になります。
こういう発想や感覚はさすが文学的理数脳というべきか。
しかし稲葉浩志といえば絶対的な女性優位主義思想=フェミニストっぷりが真骨頂。
その最高レベルが本詞でしょう。
『あなたのいる場所こそ 至上の楽園だ まぎれもない運命の人よ』
『この目はあなたを 見るためにある』
『あなたがすべてはじめるよ』
『他には誰もいないよ わかっているから 悶えるんだ』
「あなた」という存在が「僕」のすべてだと言っているわけですが過去に遡ってもこれほど対象を絶対者のように扱った例は皆無です。
これだけでも十分スゴいのですが作者の完璧なまでのフェミニストっぷりを示す特筆すべきフレーズが他にあります。
『今までの僕ならば できなかったことさせてよ』
「~させてよ」という献身的表現こそ作者が完璧なフェミニストたる所以で性差別主義思想=セクシストでは思い浮かべすらし得ない言葉でしょう。
『なぜに人は誰も ただ生きるだけで 傷つく 傷つける?』
「人」を「あなた」に置き換えて想像してみると「僕」の一途で切ない想いが伝わってきます。
ですがこの心理状態では二人の関係性が不明でどれほどの仲なのかが読み取れません。
わかるのは「僕」にとってたとえそこが『愛と罪と罰が 生まれてゆく』失楽園だとしても"「あなたのいる場所こそ至上の楽園」=エデンの園"だということだけ。
結論として本詞は二人の関係を進展させたい「僕」の想いに終始します。
しかし『十字架』を背負うほどの覚悟なんて余程のフェミニストじゃなきゃ持ち得ませんよ☆