●人生のあしあと
昭和43年12月25日、
プロ野球広島カープにて盗塁王3回と大活躍した、
緒方孝市元選手と共に、この世に生を受ける。
○愛知県生まれ。
名古屋市の郊外で飼い犬に囲まれて乳児期を
健やかに過ごす。
3歳のときに親の仕事の都合で大阪へ引越し。
4歳のとき双子の妹が生まれ、兄となる。
○小学校入学
すべてに「一番」を好み、
登校時間も勉強もクラスで一番。
苦手だった体育と音楽以外はほとんどが
満点という優良児だったものの。。。
「忘れ物の数もダントツにクラス一」
という不名誉もなぜか背負い・・・
黒板横に張り出していた
「忘れ物棒グラフ」
が一人だけテッペンに到達し、
仕方なく隣の子の欄に折り返し表示された、
という記録的な逸話を持つ。
そして、不名誉を克服するために編み出したアイデアが、
「時間割によって教科書を入れ替えずに済むように、
毎日、全教科の教科書ノートをランドセルに入れること」
すぐに実践に移し、
毎日しんどい思いをして登校する。
見事、不名誉は免れることになったものの、
その代償として、
小学3年生にてランドセルが老朽化し、
親を大いにあきれさせる。
○転校生の洗礼
小学3年生の秋に大阪府都心部へ引越し。転校生としての
洗礼を受けながら「都会っ子」として生活をスタートする。
親に強制的に通わされた「少年野球」によって、勉強だけ
できる「ガリ勉くん」から、なんとか人並みの体力と運動神
経を身につける。
当時の夢は、家を買い、両親に6畳の部屋に住んでもらっ
て大家族で仲良く暮らすこと。
家の間取り図が書かれた折込チラシを見て、しばしば未来
の生活を空想することも。
小学時代の印象は
『めちゃめちゃ、勉強ができる人』
○中学校入学
中学に入学してすぐ、自分にとても優しくしてくれる
女子がいたことをきっかけに、人並みに恋愛に目覚める。
また、いつの間にか大好きになっていた野球を続けようと
思い立つも、後に大阪府大会優勝を飾る強豪メンバーを横
目に、方針転換し、
「練習が一番楽な運動部」
という理由だけで選んだ卓球部に入部する。
ところが、先輩の指導を忠実にこなす几帳面さが功を奏し
て、メキメキと頭角を現し、エースプレーヤーとして3年間を
過ごす。
中学時代の印象は
『勉強ができて、卓球がめちゃくちゃ上手な人』
○高校入学
肝心なところで現れる「勝負弱さ」が災いして、合格圏内
だった学校を不合格になった後、就職に有利な工業高校へ進
学する。
中学と同様に卓球部に入部し、1年次よりレギュラーと
して活躍する。
「学年で一番上手いから」
という、ありがちな理由だけで、キャプテンに指名される
ものの、部員の人心掌握に頭を悩ませ、2年の冬に自ら絶縁
し退部の道をたどる。
このとき悔し涙を流す自分に厳格だった父が、そっと寄り
添ってくれたことがひとつの転機になる。
このころ、勉学面でも「2番手」が定着し、
自分の器と身の程を知ることになる。
高校時代の印象は
『賢くて、まじめで、大人しい人』
○希望に溢れていた社会人生活
幼い頃から憧れていた大手鉄道会社へ入社後、
情報システム部へ配属となり、以来社内SEとして、
・人事・会計システム
・ネットワークエンジニア
・OAパソコンヘルプデスク業務
など、社内の大多数のIT業務に携わる。
途中、勉強好きが高じて、
業務の傍ら通信制大学に通い4年間で卒業する。
(北海道情報大学 通信教育部 情報学科 卒業)
若手時代は、
熱心に、我慢強く、忠実に職務に取り組む頑張り屋。
寡黙で人見知りする気質だったものの
その取り組み姿勢が認められて、
27歳のとき、当時最年少にて主任に昇格。
2000年2月。
31歳のとき、職場の同僚だった妻と結婚し、
大阪府郊外で結婚生活をスタートする。
妻から聞いたワタシの印象は
『優しくて、気配りができる人』
2002年11月、
幼い頃からの念願だった一戸建てを購入し
両親を呼び寄せる。
両親の部屋は8畳間
ここで、私の大きな夢は
ほとんど完璧な形で、実現できました。。。
○試練の30代
入社以来、大過なく過ごしてきたものの・・・
時代の移り変わりにより、
寡黙でで人見知りする気質が最も苦手とする
部下育成、コミュニケーションなどの
マネージャー業務の比重が高まり、
更には、真面目で几帳面な性格が却って災いし
ストレスを抱える毎日を送る。
「請けた仕事は、何としてもやり遂げないといけない」
「出来る範囲は自分で頑張って、上司に迷惑を掛けてはいけない」
と、ひとりで頑張りすぎて
「仕事に厳しく、融通が利かない人。
「独りよがりで、協調性がないい人」
とのレッテルが定着。
2006年、
仕事と人間関係に疲れ、ストレスが爆発。
入院寸前になるまでに、心の健康を崩してしまう。
この出来事を契機に、
自身のありかたについて、深く見つめ直し、
「本当の自己啓発」をスタートする。
○自己啓発に覚醒した40代
自己啓発をスタートしたのは30代後半から。
最も影響を受けた自己啓発は「心理学」
「日本メンタルヘルス協会」にて提供される数々の心理学
のエッセンスを学ぶことで心の健康を取り戻し、更には、
心の底から信頼し安心して付き合える多くの友人に恵まれる。
2年後、同協会の研究コースを修了し、
公認心理カウンセラーの資格を習得する。
続いて、2009年秋に古代イスラム時代より秘伝される
人間形成学「エニアグラム」に出会い、独学で自己理解と
他者理解のエッセンスを探求し、脇役専用の肩の凝らな
いコミュニケーション術を会得する。
机上の学びと並行して、各種活動を展開。
カウンセラーやセラピストとして躍進する友人7名と共に、
コラボでセミナーを開催する、チーム「LoveOwnSmile」
を立ち上げ。
チーム「LoveOwnSmile」では、事務局・司会者として、
講師として活躍するメンバーを応援することに喜びを感じな
がら、ホームページ制作など裏方として会運営を担当。
地道な会運営活動と「エニアグラム」のコミュニケーション術
が仲間に認められて、第4回コラボセミナー(2010年1月24日)
では、講師としてエニアグラムセミナーを開催。
初登壇ながら、受講者から「自己理解が深まった」など、高い
評判を得たことに自信を得て、セミナー講師を主体とした創作
活動をスタートさせることを決意。
現在に至ります。
昭和43年12月25日、
プロ野球広島カープにて盗塁王3回と大活躍した、
緒方孝市元選手と共に、この世に生を受ける。
○愛知県生まれ。
名古屋市の郊外で飼い犬に囲まれて乳児期を
健やかに過ごす。
3歳のときに親の仕事の都合で大阪へ引越し。
4歳のとき双子の妹が生まれ、兄となる。
○小学校入学
すべてに「一番」を好み、
登校時間も勉強もクラスで一番。
苦手だった体育と音楽以外はほとんどが
満点という優良児だったものの。。。
「忘れ物の数もダントツにクラス一」
という不名誉もなぜか背負い・・・
黒板横に張り出していた
「忘れ物棒グラフ」
が一人だけテッペンに到達し、
仕方なく隣の子の欄に折り返し表示された、
という記録的な逸話を持つ。
そして、不名誉を克服するために編み出したアイデアが、
「時間割によって教科書を入れ替えずに済むように、
毎日、全教科の教科書ノートをランドセルに入れること」
すぐに実践に移し、
毎日しんどい思いをして登校する。
見事、不名誉は免れることになったものの、
その代償として、
小学3年生にてランドセルが老朽化し、
親を大いにあきれさせる。
○転校生の洗礼
小学3年生の秋に大阪府都心部へ引越し。転校生としての
洗礼を受けながら「都会っ子」として生活をスタートする。
親に強制的に通わされた「少年野球」によって、勉強だけ
できる「ガリ勉くん」から、なんとか人並みの体力と運動神
経を身につける。
当時の夢は、家を買い、両親に6畳の部屋に住んでもらっ
て大家族で仲良く暮らすこと。
家の間取り図が書かれた折込チラシを見て、しばしば未来
の生活を空想することも。
小学時代の印象は
『めちゃめちゃ、勉強ができる人』
○中学校入学
中学に入学してすぐ、自分にとても優しくしてくれる
女子がいたことをきっかけに、人並みに恋愛に目覚める。
また、いつの間にか大好きになっていた野球を続けようと
思い立つも、後に大阪府大会優勝を飾る強豪メンバーを横
目に、方針転換し、
「練習が一番楽な運動部」
という理由だけで選んだ卓球部に入部する。
ところが、先輩の指導を忠実にこなす几帳面さが功を奏し
て、メキメキと頭角を現し、エースプレーヤーとして3年間を
過ごす。
中学時代の印象は
『勉強ができて、卓球がめちゃくちゃ上手な人』
○高校入学
肝心なところで現れる「勝負弱さ」が災いして、合格圏内
だった学校を不合格になった後、就職に有利な工業高校へ進
学する。
中学と同様に卓球部に入部し、1年次よりレギュラーと
して活躍する。
「学年で一番上手いから」
という、ありがちな理由だけで、キャプテンに指名される
ものの、部員の人心掌握に頭を悩ませ、2年の冬に自ら絶縁
し退部の道をたどる。
このとき悔し涙を流す自分に厳格だった父が、そっと寄り
添ってくれたことがひとつの転機になる。
このころ、勉学面でも「2番手」が定着し、
自分の器と身の程を知ることになる。
高校時代の印象は
『賢くて、まじめで、大人しい人』
○希望に溢れていた社会人生活
幼い頃から憧れていた大手鉄道会社へ入社後、
情報システム部へ配属となり、以来社内SEとして、
・人事・会計システム
・ネットワークエンジニア
・OAパソコンヘルプデスク業務
など、社内の大多数のIT業務に携わる。
途中、勉強好きが高じて、
業務の傍ら通信制大学に通い4年間で卒業する。
(北海道情報大学 通信教育部 情報学科 卒業)
若手時代は、
熱心に、我慢強く、忠実に職務に取り組む頑張り屋。
寡黙で人見知りする気質だったものの
その取り組み姿勢が認められて、
27歳のとき、当時最年少にて主任に昇格。
2000年2月。
31歳のとき、職場の同僚だった妻と結婚し、
大阪府郊外で結婚生活をスタートする。
妻から聞いたワタシの印象は
『優しくて、気配りができる人』
2002年11月、
幼い頃からの念願だった一戸建てを購入し
両親を呼び寄せる。
両親の部屋は8畳間
ここで、私の大きな夢は
ほとんど完璧な形で、実現できました。。。
○試練の30代
入社以来、大過なく過ごしてきたものの・・・
時代の移り変わりにより、
寡黙でで人見知りする気質が最も苦手とする
部下育成、コミュニケーションなどの
マネージャー業務の比重が高まり、
更には、真面目で几帳面な性格が却って災いし
ストレスを抱える毎日を送る。
「請けた仕事は、何としてもやり遂げないといけない」
「出来る範囲は自分で頑張って、上司に迷惑を掛けてはいけない」
と、ひとりで頑張りすぎて
「仕事に厳しく、融通が利かない人。
「独りよがりで、協調性がないい人」
とのレッテルが定着。
2006年、
仕事と人間関係に疲れ、ストレスが爆発。
入院寸前になるまでに、心の健康を崩してしまう。
この出来事を契機に、
自身のありかたについて、深く見つめ直し、
「本当の自己啓発」をスタートする。
○自己啓発に覚醒した40代
自己啓発をスタートしたのは30代後半から。
最も影響を受けた自己啓発は「心理学」
「日本メンタルヘルス協会」にて提供される数々の心理学
のエッセンスを学ぶことで心の健康を取り戻し、更には、
心の底から信頼し安心して付き合える多くの友人に恵まれる。
2年後、同協会の研究コースを修了し、
公認心理カウンセラーの資格を習得する。
続いて、2009年秋に古代イスラム時代より秘伝される
人間形成学「エニアグラム」に出会い、独学で自己理解と
他者理解のエッセンスを探求し、脇役専用の肩の凝らな
いコミュニケーション術を会得する。
机上の学びと並行して、各種活動を展開。
カウンセラーやセラピストとして躍進する友人7名と共に、
コラボでセミナーを開催する、チーム「LoveOwnSmile」
を立ち上げ。
チーム「LoveOwnSmile」では、事務局・司会者として、
講師として活躍するメンバーを応援することに喜びを感じな
がら、ホームページ制作など裏方として会運営を担当。
地道な会運営活動と「エニアグラム」のコミュニケーション術
が仲間に認められて、第4回コラボセミナー(2010年1月24日)
では、講師としてエニアグラムセミナーを開催。
初登壇ながら、受講者から「自己理解が深まった」など、高い
評判を得たことに自信を得て、セミナー講師を主体とした創作
活動をスタートさせることを決意。
現在に至ります。