水曜日の映画デーに

映画館へ行くのが常なのですが


なんと昨日から明日まで

犬と私の一人と一匹生活


夢のように自由です


というわけで

ゴールデンウィークのど真ん中に

とても観たかった作品を観に行きました


いつもなら


買い物の時間

夕食の準備

犬の散歩


その他


名のない家事が

午後は押し寄せてくるのですが


今日はフリー


長めの作品もゆったり気分で

観られる幸せ。


エドガルド・モルターラ


まず衝撃なのが

1858〜1940までの

史実の話という事


これが

とても恐ろしいのが

宗教的な事情で

人ひとりの人生が

その周りを取り巻く人の人生をも

激流に飲み込まれてしまう話でした。


そして


最後に文章で


サラッと

「エドガルドは1940年に

亡くなるまで宣教した」みたいな事を

書かれていてもう最後まで衝撃でした。


そもそもユダヤ教の家庭の中で

6〜7人子どもがいたのに

とある理由でエドガルドだけが

何者かに勝手に洗礼を授けられていた。

その「洗礼」はユダヤ教ではなく

カトリックのものだった。


それが何故か6年後、洗礼を受けた子として

連れ去られる。


裁判も起こしたし、

暴動も企て、実行した。


それでも

人間の心は

とりわけ特別純粋な時期に刷り込まれた

「教義」を取り除く事の難しさ


これを「洗脳」という事もできるけれど


宗教の難しさはそこにあると思いました。


社会問題となる「カルト教団」は

人の心につけ込んで、その人の生きる術を

はぎ取り、その教団に依存するしかなくして

しまったりする。

これは本当に社会悪です。


でも


その線引きって

すごく難しいですよね。


私の祖母は

とある宗教(仏教とかキリスト教みたいなメジャーな宗教ですが、宗教自体を否定したくないのでここでは明らかには致しません)に、酔心し、

その施設を建設するにあたり

財産のほとんどを寄付しました。

普通の人の生涯年収くらいです。

祖母が満足しているならそれでもいいと

思います。でも、そんな祖母が入院したとて

誰ひとりその宗教の方は

お見舞いになど来ませんでした。


私も祖母に誘われ

一年ほど、その宗教に関わってみました。


私は心底無宗教で


何の影響も感動も受けず、

一年経つ頃には

アホらしくて

どうしても行きたくなくなり

祖母にどれだけ説得されても

2度とそこへ行く事はありませんでした。


宗教心を持つも持たざるも人の自由

どの宗教を択ぶかも自由であるべき


それが

もしも

ある日突然


全く信仰心のない宗教へ

我が子を奪われたなら



そんな


非現実的な出来事が

昔とはいえ


あったんだと思うと


ものすごく怖い気持ちになりながら

2時間半近くの上映も

あっという間でした。


世の中には、歴史には

知らない事、分からない事

そんな事だらけなんですね。