問題が発生する瞬間まで黙って見ていて、いざその時が来たなら大騒ぎするようなやり方は全く下衆と言って差し支えない。残念ながら、こういう行為を行う人間というのは逆の立場になる事など考えもつかない。それはつまり、傲慢そのものだ。

 

 

 こういう手合の人間が欲しいのは問題解決という答えでなく、単純に相手の弱点を見つけ、そこに土足で上がり込んで暴れていたいだけ。解決を推進する立場にありながら、問題発生の現場をわざと見逃すような人はいくら言っても自己浄化などできない。暴れる事が楽しくて仕方ないのだから。

 

 

 そういう人とは縁を作らぬほうが良い。少しでも関わりをもてば、息の詰まる日々が待っている。存在しないものとみなすか、少しでも割り切れるように努めよう。

 

 そんなつまらない人間の為に、気を引き締めてもしょうがないのだ。

某下町の製品が検査で不合格になった挙句、訴訟すると息巻いている話を聞いて「とうとうここまで傲慢になったか。みっともない」と率直に思う。せめて「残念だが次の機会に向けて改良を目指したい」と言えば良かったものの、それすらも台無しにしてしまった。

 

これはここの工場や、それに関わる人達だけに留まる話ではない。大舞台でこのような無様かつ傲慢な失態を見せつけたことは大きなマイナスになるだろう。

 

 

とはいえ、このような言動を取るのは別にここに限った話ではない。実例として納期に間に合わせる気もなく、品質も劣り、さらに取引先に逆ギレをするというどうしようもない会社もどきは枚挙に暇がない。

 

そういう会社もどきが存在している限り、彼らが世の中の足を引っ張るのは想像に難しくない。それでも彼らは自分たちが優秀だと、自分たちにしか出来ない仕事をしていると勘違いしている。

 

「仕事は選ばなければいくらでもある。雇ってやっているだけありがたいと思え」

 

とはそういう会社もどきで聞かされる談だ。彼らは即戦力をあまりにも安く欲しがるあまり、雇われた人がそこでの上限を見極めた時点で去る事を考えたこともない。結果、人を教える能力も消え、残っているは傲慢な技術者崩れか、その業界に憧れを抱いてきたのにボロボロになってしまった若い労働力だけだ。

 

 

ある企業が黒字倒産するという話を聞いた。要するに人手が足らず後継者もいないという事での倒産だ。

その会社の製品の社会的意義が大きいだけに、大きな損失という意見も多く見受けられる。

 

実際の所、そういう評価は一元的すぎるなと思う。

何故ならその会社の評価についてはどういう視点で見るかで全く異なってくるからだ。

 

 

その製品は非常に高い技術を要求される。それは分かる。とすれば、その会社のかかえる技術者を一個人で見れば極めて高い技術を有していると言えるだろう。実際、その会社の人員は極めて小さく、事実上一代で築き上げたようなものだ。

 

だが、その高評価も果たして視点を変えればどうなるか。

 

まず指導者として見た場合、全く後継者を育て上げる事が出来なかった、してこなかった訳だ。当人はやりたいことをやったとご満悦なところからも窺い知れるようにその技術を遺すつもりが無かった。その製品の社会的意義をまるで理解しようとせず、ただ自分の足跡をなぞるようなやり方しか見いだせなかった。つまり、自分のこれまでの技術を結集させて圧縮させる事が出来なかったと言える。指導の意義を理解してこなかったのだろう。

 

次に経営者としてみた場合、既に何度も出ているように社会的意義の大きい製品を後にも続けて排出出来る体制を整える事が出来なかったと言える。社会が必要としていながら、一企業として全くその役割の片棒を担う事が出来なかったのはとても残念である。

 

結局、技術を残し継承する体制を当人たちがただ自己満足のみに留まり整備してこなかった、その結末の一つがこれなのだ。

 

とある日本の製造業のトップが、取引のために海外工場へ出張した時のとこだ。

取引先の企業が、社員に三食食事を提供していて驚くとともに「金をかけすぎだ、もったいないしあれでは儲けられるはずがない」と呆れ返ったという話がある。


日本企業の斜陽を物語るあまりにも分かりやすい一例だろう。彼らは優秀な人材が、あまりにも素晴らしい我が社に「働かさせて下さい」とすすんで頭を下げてくるものだと信じて疑わない。彼らは決して人材の維持することも、育てることも考えたことはないのだ。

かえって余計な手間を増やす芽をつむことを予防として捉えない企業の多いことは、働く側にとっても迷惑なことだ。淘汰し、淘汰されて行かなければならない。
業務の効率化を行う事は重要であるが、どうしてか、ただ単に分業すればそれで済むと考えている無能は多い。

何の考えもなしに手分けしただけでは何変わらないどころか、手分けした先の管理もしなければならない為、結果として手間が増えてしまうのだ。

真の効率化とは、その手間の総数を減らすことにある。

一見聞こえの良い効率化という言葉に無様にあやかって、手間の総数を肥大化させ挙句に無能だと言う事が露呈してしまえば。

そこには不信感しか残らないのである。