世の中どうつながっているか分からないものだ。予想だにしないところでつながりを見つける事は少なくない。
それは良い方向にも、悪い方向にも転がる。
良い方向ならばそのままで良いのだろう。しかし、悪い方向、つまり「できる事なら避けたい」というケースの場合は中々難儀なことになる。
これは穢にも似ている。ある地点まで薄まればつながりが途絶えていると割り切る事さえ、時には必要だ。
世の中に貢献している、とうたう会社のあまりにも杜撰な体制を知っていれば、そこに紐づくものを禁忌する気持ちが湧き出る事は自然な事だ。
しかし、不条理にもそこから輩出されるもの自体は無くてはならないもの(例え代替品があったとしても、シェア的にもエンドユーザー的にも替えの効きづらいような)という事態もある。
トラウマ、と言っても良いだろう。残念ながら、ある日突然その企業が消滅するなどという事はまずありえない。(0%ではないが、それが起こる前にもっと重大な事態が起こるだろう)
どうしても拭いきれぬようならば、メンタル面での対処も必要になる。そういった損害を、誰も補填してはくれないのだが。
かつては、こういったヘドロのような感覚を呪いとして発現していたのだろう。
不条理なものに対しては不条理をぶつける。ともすれば、合理的な判断をかつての人々は下してきていたのかもしれない。