68年前の昨日は長崎に原爆が投下された日でした。
私の母方のじいちゃんとばあちゃんは、戦争を生き抜いた2人です。
昭和20年。戦時下の日本。
当時じいちゃんとばあちゃんは新婚ホヤホヤでした。
じいちゃんが徴兵されたとき
ばあちゃんは第一子、私から見て叔父(母の兄)を妊娠していました。
じいちゃんが“兵隊さん"として行ってしまうとき、
ばあちゃんは、じいちゃんにもう2度と会えないと思って見送ったという。
じいちゃんも、ばあちゃんの元へは帰れないと思ってたという。
さらには、お腹の中にいるまだ見ぬ我が子にも会えないと思ったという。
つらい別れだったという。
誰しもがあの時代、そうゆう覚悟で戦場へ行ったという。
じいちゃんとばあちゃんは、
見合いとかではなく恋愛だった。
そんなふたりを
戦争が引き離した。
今では考えられない時代背景。
ばあちゃんは一人で、爆弾が落ちてくるなか身重の体で走って逃げた日もあったそう。
空襲を逃れ、人の遺体を見ない日はなかったそう。
そんな中で迎えた終戦。
じいちゃんは生きていた。
生きてばあちゃんとこに帰ってきたそうな。
あの時代、生きて帰るなんて非国民と言われたそう。
でも私はじいちゃんが非国民と言われようが、後ろ指さされようが、何だろうと生きて帰ってきてほんとによかったって思う。
その後、ばあちゃんは無事出産し、その後も3人の子宝に恵まれる。
一番末の女の子が私の母だ。
じいちゃんは、日本が敗戦して悔しかったですか?
それとも、またばあちゃんに会えて嬉しかったですか?
私はじいちゃんとばあちゃんが幸せだったならそれがいい。
優しかったじいちゃんは、
今から10年前。86歳で亡くなりました。
最後、看取ってあげられなかった。
すごく後悔してるよ。じいちゃん大好きだったよ。
じいちゃんは酒を飲まない人だったけど、代わりに紀文の豆乳が大好きでした。
私が小さい頃、よく一緒に飲んだね。
そんな紀文の豆乳も今では色んなフレーバーがあるんだよ。
(↓こんなに。)
じいちゃんがもうすこし長く生きてくれてたら、色んな豆乳をたくさんご馳走してあげれたのに。
甘党でお菓子が大好きだったじいちゃんに、
食べたことないような甘いものもたくさんご馳走してあげれたのに。
何もしてあげられなかったことに、今となっては悔いしか残らない。
じいちゃんとばあちゃんは、
一番怒濤の時代を生き抜いたと思う。
長い間、ほんとうにお疲れ様でした。
そして
戦争により命を落とされた多くの方々。
ご冥福をお祈り致します。
戦争は、何にも生まない。
子供の頃、
父と母のなれそめ話を聞いても、たいしたことねえなって思ってたけど(笑)、
祖父と祖母のなれそめ話は、ずげえなっていつも思ってたことを思い出したのでこの事を書きました

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