なくなっていたのは、ウェディングドレスだけではなかった。
それは親友の遺品。

その親友は、高校時代の同級生だった。
16歳からの付き合いで、偶然にもお隣同士だった。彼女の家はライオンズマンションの7階。
そのベランダから、私が住んでいた戸建を見下ろせた。

彼女の名前はchiri。
隣同士だとわかってから、朝は二人で登校し、彼女の部活がない限り、仲良く並んで下校する毎日だった。
chiriは、三度のごはんよりマンガが大好きだった。下校途中、本屋で立ち読みする。
「少年ジャンプの発売日だから、ちょっと寄っていい?」と言われては、よく付き合ったものだ。chiriは少女マンガだけでなく、少年マンガもこよなく愛する人だった。
今で言うところのオタクの走りだった。

chiriの立ち読みは、ただの立ち読みではなかった。「この作品だけ読みたいから、ちょっとだけ待ってて」と言いながら、結局一冊読んでしまうのだ。
それどころか、同日発売のマンガ「りぼん」も、「読んでいっていい?」ということになり、本屋の前に30分は女子高生が立っているという光景になっていた。
本屋にしてみれば、いい迷惑だ。
私はchiriに「まだ?」「まだ?」と催促をするも、「もうちょっと」「もうちょっとで読み終わるから」と言いながら、なかなか閉じようとしない。
そんなchiriに、私は痺れを切らしながらも、我慢強く待っていたものだ。

chiriは、何でも話せる唯一無二の、なくてはならない存在だった。喧嘩もよくした。
こいつ、ムカつくと思っても、次の瞬間には笑い合っていた。

chiriは25歳で結婚した。寿退社する前に、二人で旅行に行こうと誘ってくれた。
でも、当時私は苦学生で、行動範囲と言えば、専門学校とバイト先と自宅のトライアングルだった。おしゃれはおろか、学生時代の同級生がスキーだ、温泉旅行だと楽しんでいるのを尻目に、ひたすら勉学とバイトに明け暮れていた。
そんな私のことをchiriはちゃんと理解していて、chiriの会社の保養所に、同僚の名前を借りて、宿を手配してくれた。
宿は湯河原だった。翌日、熱海の浜辺に行き、潮風を楽しんでいたら、chiriが被っていた帽子が風に飛ばされ、波にさらわれた。やっちゃったねと、二人で苦笑いした思い出がある。

私が婚約時代、元夫からスキーに誘われたのだが、私はウエアを持っていなかった。
すると、chiriが「いいよ。貸してあげる。返すのはいつでもいいからね」と心よく貸してくれた。
結婚が決まったことを知らせると、ウェディングノートを早速渡してくれたり、私が第一子を妊娠したことを報告すると、chiriが参加した母親学級の資料を送ってくれた。
すべて私を思ってのことだった。
心優しい女性だった。
chiriといる時が私らしくいられ、chiriも恐らくそうだったろう。自分を出せる、本音を言える。それを互いに受け止め、受け入れることができる人生最高の友人だった。

つづく