収入印紙を買うために裁判所を出て、小走りに、指定の小売店に向かった。
そして、小走りに裁判所に戻った。
フロアに夫がいるとかいないとか、そんな意識はまったくなかった。もし、出くわしても構わないと思った。むしろ、夫の方が嫌がるだろう、私を見て、逃げるように立ち去るだろうという確信があった。

収入印紙を書記官に渡して、調停室を出る。
フロアの長椅子で待っていた弁護士トンデモ先生に「先生、相手方弁護士は若かったですね」と声をかけた。
「そうだね。初めて見たけど、若かったね」弁護士歴40年の先生から見れば、インターンのよう感じだったのだろう。
「それにおとなしい感じでしたよね。
だから、夫の言うなりになっていたんじゃないですか?」
「そうかもしれないね。相手を説得できなかったのかもね」


第1回調停の日に、私は弁護士トンデモ先生に聞いた。
「相手方弁護士は、夫を説得したりしないんですか」
弁護士トンデモ先生は「調停委員が説得することはありますが、弁護士と依頼人は信頼関係で成り立っているから、説得はしないです」と言っていた。
そんな弁護士トンデモ先生から、何度か「譲れるところは譲って」と私は言われた。その度、説得させられたような気持ちになった。
そうかと言って、譲らずに強情になれば、進むことも進まない。
ホントはね、譲ってやるもんかと思っていた。だって、婚姻生活で、私は大抵のことを譲ってきたから。自分の思い通りにならないと、屁理屈だろうが何だろうが、ゴネまくって収拾がつかなくなる。夫が怖かったし。
弁護士ついてるから、負けないぞって思っていたけど、弁護士トンデモ先生の言うことは一理あるからと納得した。悔しい気持ちもあったけど、結果それが近道だった。

弁護士トンデモ先生は、私より一世代上なのだが、早くに父親を亡くした私は、時に先生を父親のように感じることもあった。

夫は、素人の私ですら、弁護士が作成したとは思えない内容の期日前書面を毎回、出してきた。何をどう頑張っても、法律的に通らないことを主張してきた。
それを読む度、夫の言うままに弁護士が作成したのではないかと私は思っていた。
夫の下書きを、弁護士が体裁を整えて精書したのではないだろうか。
そんな風に感じていた。

私は弁護士トンデモ先生に、私が感じることを何度か説明したけれど、トンデモ先生は「相手方弁護士がどんな弁護士かわかりませんが、それはないでしょう」と言った。
その言葉は、同じ弁護士として、相手方弁護士を尊敬し尊重しているというトンデモ先生の弁護士としての姿勢を表していた。

相手方弁護士は40歳前後の男性弁護士だった。まじめで温厚な感じがする人柄のよさそうな人だった。

弁護士トンデモ先生よりキャリアが浅く、
性格も良さそうな相手方弁護士だから、
アクが強くて、超嘘つきのタチの悪い夫をコントロールできなかったのだろう。


私は弁護士トンデモ先生に「先生、やっぱり私が言った通り、相手方弁護士は、夫の言うなりだったんですよ」
先生は「弁護士として、そうは思いたくないけど、制御できなかったんだね」
「ね、そうでしょ」

とんでもなく性格が悪い夫の代理人になってしまった相手方弁護士に、私は同情した。
きっと、やり込められんだろうな。


裁判所に来ることも、これが最後。

二度とこの場所に縁がないことを祈って、裁判所の玄関を出た。梅雨の中休みの夏空が広がっていた。