喪失感がくれたもの
喪失感で胸がいっぱいだと、正直あの子の事以外は他の事に対して関心が持てなくなるんですよね。
厳しくいったらわがままですよね。確かにそうなんです。
ただ、言葉にできる人もできない人も、そこの点に関して分かっているけれど、心で納得するだけの余裕があるかどうか。
僕の私見でいうと、ないです。
あったら、そもそも喪失感で心が参るようなイベントとしてあの子を亡くしたことを意味付けなんてしやしませんよ。
何といったらいいのかな。
喪失感にやられている間っていうのは、ピーク時には周りの事が全く見えていない。
心に余裕ができてきたころには周りの事に関心が向いてもあの子への免罪符にするために言い訳しているばかりではないかと思うんですよ。
ちなみにこれらは僕の実体験ですが(苦笑)
それでもね、こんな僕でも恩恵はあずかったです。
何が恩恵であるか。
愛し方は間違えたかもしれないけれど、あの子を心から愛していることには変わりはないと再確認できたこと。
自分があの時、あんな自分でなければ、あの子があの場所にいてくれなければ、この出会いはなくて、楽しい思い出も、嬉しかった体験も、全く得られなかったという再確認。
思い出は自分を貶めるものではないし、あの子が命がけで僕に更な幸せへの切符=新しい子への幸せの仕方をバトンタッチしてくれたこと。
あの子は僕が苦しい思いをするほどにまっすぐに愛してくれたこと。
こんな程度ですが、僕には何にも代えがたい恩恵です。
あの子が僕の存在の要を担ってくれて、そこから成長につなげられるから。
だけど、自分を許せないでいると、喪失感はネガティブフィードバックよりも、自分を否定することにレバレッジを利かせてくるんですよね。
だから、欲を言ったらよき理解者、できることなら共感してくれる人が傍にいるか繋がっているかしていると回復へのステップは早くなったかもしれません。
それでも、喪失感から何かを得るには意味づけを変えていく必要があります。つけるのは自分ですが、ヒントをまわりに求めるのは恥ではないし、見つけ出すのも自身の成長にもつながります。
回復も成長も、あの子が大好きだった自分に戻って、もっと胸を張ってもらえるようになることだから、恩返しにもなるんですよね。
だから僕は言います。
どんなに暗闇の中をさまよっていても、諦めなければ光はさしてきます。
絶望したとしても、諦めないで。
あの子の思いも、あなたを大切に思う人も必ず現れてくるから。