2016年に受講した『自分の神話塾』。
その講座の課題で『三人の英雄をあげる』というものがあった。
僕はその中の一人に、新国際空手道連盟芦原会館の創設者、故 芦原英幸先生をあげていた。
理由は、師が生前に語られた言葉にあった。
卓越した理論と、美しさを伴った強さを兼ね備えた『実戦 芦原カラテ』。
運動神経が鈍く、体力もさほど強くない僕でも、本当に強くなれるんだろうか、と不安になることもあった。
そんな時に、目に飛び込んで来た言葉。
それは、、、
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道場生を裏切ってはいけないんです
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私は海外の道場を回りながら、改めて空手の指導法というものを再認識したんです。どうしたら生徒達に本物の技術を教えられるか、どうしたら全員を強くする事ができるのかーー。
考えてみると日本の空手界というのは非常に不思議なんですね。うちの道場は百人入門しても三人ぐらいしか残らないとか、うちの稽古についていくには基礎体力がなくてはいけないとか、そんな事を誇りにするんですよね。どこか変じゃないかと思いません?
例えば学校、英語の専門学校を考えてみて下さい。どこに一年、二年たって百人中三人しか英語が話せないなんて所がありますか。たとえその三人が圧倒的に英語がうまく話せるようになっても残りの九十七人が話せなかったらその学校は失格ですよ。空手の道場も同じです。百人の中で残った三人がどんなに強くなっても、その三人はどんな道場、どんなスポーツをやっても一流になる素質がある人間なんです。
要は、他の九十七人をいかに強くしてやれるか、これこそ重要な事ではないでしょうか。
みんな強くなりたいんです。大きい人間も小さい人間も、強くなりたいから道場にくるんです。我々には大した額じゃなくても、学生にとっては入会金や会費は決して安くはないんです。貯金したり、アルバイトしたりして得た大切なお金を持って道場にやってくるんです。強くなるための稽古は確かに厳しいです。しかし、強い者を育てるためには何人挫折してもしかたがないとか、理屈よりも体で覚えろとか、平気で多くの純真な心を裏切る。それがまかり通っている世界が空手界なんです。
そして、実戦、実戦をさけんでやたら大会を開く事に精を出す。その結果、レベルの低い、内輪だけの自己満足の大会になり果てる。それよりも、学生も社会人も、真剣に空手を学ぼうとするすべての人間を満足させられる稽古法、指導法を追求する事こそ大切ではないのか、私はこう思うのです。
世界には多くの人々、多くの民族がいる。各国それぞれ習慣も違うし風土も違う。しかし、どんな人でも科学性にのっとった合理的な指導法があれば強くなれるんです。これを芦原は求めているんです。先にもいったように、外人達の眼は鋭いです。学ぶべきものがなければ振り向きもしない。そのかわりいいものに対しては「グレイト!」、こういって感動するんです。芦原はこのような空手を追求してきたし、そういわれる空手であり続けたいとチャレンジしているんです。
出典:福昌堂『月刊 空手道』1987年3月号 新たなる神話を生む芦原英幸
という、ものだった。
突き刺さった。
胸が震えた。
この言葉に救われたし、そんな想いをもって門下生を指導してくれるこの人の下で学びたいと思った。
この師の言葉が、僕の目指しているものを代弁してくれている。
今までは、天才肌の人や、ある程度覚醒しかけていた人だけが、表舞台に立てていた。
これからは、師の言葉を借りれば『残りの九十七人』の時代。
僕もその『残りの九十七人』のうちの一人。
その道を歩んできたから…
そのもどかしさ、悔しさを知ってる。
僕の出番がやってきた。
『残りの九十七人』が表舞台に立つ、そのパワーを取り戻す道。
『努力』と『チャレンジ』
師が好んで使われた言葉を胸に、僕もチャレンジ、していきます。
改めて『自分の神話塾』の課題、秀逸だわ。
芦原カラテ、黒帯目指してもう一度チャレンジしよ。