現在、北部地区の人たちが、経済的に〈背に腹は代えられない〉ほどの状況にあるのだろうか。私は、在任中、「均衡ある県土の発展」を目指して、北部振興策にも努めてきた。したがって、よしんば、基地を移設することによって、経済的に多少は潤うことがあったとしても、子どもたちの将来や生命の危険、さらには、替否の対立による地域社会の崩壊を考えると、基地を受け入れることはあまりにもデメリットが大きすぎるのではないかと、危惧されてならない。


沖縄には、「チュニクルサッテイン、ニンダリーシガ」(他人に痛めつけられても眠ることはできるが、他人を痛めつけては眠ることはできない)といういい伝えがある。そのため、自らの痛みを他へ移したがらない。復帰前の一九六九年七月に、コザ市(現在の沖縄市)の知花弾薬庫基地で致死性の高い毒ガスが漏れ、そこで働いていた二四人が入院したことがあった。この事故を、米軍はひだ隠しに隠していたが、アメリカの「ウォールストリートージャーナル」紙が暴露した。


住民の抗議で、米軍は、これらの化学兵器をアメリカの管理下にある太平洋上のジョンストン島に移すことに決めた。その時、沖縄住民の多くは、「移すのではなく、廃棄すべきだ」と強く主張した。それというのも、自分たちの苦痛を他人へ押し付けたくはなかったからだ。この事例が示唆するように、沖縄の人びとは、自分にとって嫌なことは、他人にとっても嫌なことだと考慮したわけである。このようなありようが、沖縄のいわば伝統的な「こころ」といえよう。


したがって、これまで、私たちは沖縄の基地を本土に移そうとは、ほとんど主張しようとはしなかった。自らの苦しみ、嫌なものを他人に押し付けたくないことに加えて、県外への移設が問題の本質的な解決につながるとは思われなかったからだ。この点に関連して、評論家の加藤周一氏は、こう語っている。「米軍基地は日本全国を蔽っているが、殊に沖縄に集中し、その被害も大きい。そこで沖縄県民がもとめるのは、沖縄と本土との間の極端な不平等の是正ということになろう。すなわち基地の沖縄内での『移転』ではなく、『縮小』である。


しかし、移転先を本土とすれば、沖縄の問題は本土の移転先に再現される。被害の平等化は、問題の解決ではない。問題の真の解決は、沖縄の基地縮小から日本国領土内の外国の基地縮小へ向かうことの他にはないだろう。すなわち中央対地方、多数対少数の利益の調整ではなくて、日本国民全体の利益そのものの再検討に行き着かざるをえない。今沖縄が提出している課題の中心は、そこにある」(「成田・巻町・沖縄県」「軍縮問題資料」九六年一一月号)このことは、沖縄内での基地移設の場合にも同様であろう。

一般にアメリカでは、企業に高額の賠償金が科されることによって、消費者に確実に安全がもたらされるといった資料などもあります。これをどう評価するかは見方によりますが、少なくともそういうニュースはほとんど日本には紹介されません。


また、ごく素朴な疑問として、「一般人の出した判決など到底信用できない」という意見がアメリカにはないのか、と思われる方もいるかもしれません。しかし、陪審制でも「判決」を下すのは裁判官で、陪審員は「事実がどうであったか」ということを判断するだけなのです。


だから、その決定は「評決」と呼ばれます。陪審員の評決かおり、その後に、評決を元に裁判官の「判決」が出るという関係です。 すなわち、陪審員が決めた事実に、裁判官が法律を当てはめて、しかるべき結論を出す、というのが基本的な役割分担になっていて、陪審員の暴走を食い止めるのが裁判官の仕事でもあるのです。


これは一種のチェック・アンド・バランスの考え方ですが、今の日本の制度では「裁判官は絶対に暴走しない」という前提、思い込みしかありません。そこで民事裁判では、先のハンバーガー事件のケースにもあったように、陪審評決が出ても裁判官の方で「これは高すぎるから半額にする」とか、「法律違反があった」という理由で陪審員とは違う判決を出すこともできるのです。


つまり、アメリカの民事裁判の場合には、どうみても陪審員が間違っていると判断したら、裁判官はそれを覆したり修正したりできるわけで、そこに裁判官の重い使命もあって、より妥当な結論を導く仕組みになっているのです。

いまだに、集団的自衛権は、現実の平和維持の中枢になっており、NATOをどう新秩序に祖み込むかという展望も固まっていない。日米安保条約を、集団的安全保障との関係でどう位置づけるかについても、議論は深まっていない。


不確定な概念に憲法第九条の解釈を委ねることは、国家の骨格を時勢に任せることにつながる恐れがあるだろう。さらに、国連憲章と安保条約J憲法の解釈は一体のものであり、いったんある解釈を取れば、自動的に他の解釈にも波及するという連動性を持っている。例えば、安保条約のもとでの集団的自衛権の不行使という政府解釈を変更すれば、それは、国連での多国籍軍参加への道を開くことにも通じる。その逆もまた、同じことが言えるだろう。


しかし他方で、従来の護憲派が主張してきた論理も、不十分だったことは指摘せざるを得ない。歴史的な意義。文理解釈としては護憲の論理は十分な根拠を持つとしても、第二期に作られた国連の平和的イメージは、必ずしも絶対的なものではなく、最終的な安全保障をその一点に委ねるという主張は、現実において第二期には説得力を持たなかった。


国連が活性化したこと自体を批判するだけでは、第三期においても、十分な共感を呼ぶことはできないだろう。冷戦後に再び変化しつつある国連に対し、憲法第九条を持つ日本がどうかかわって行くべきか、新たな護憲の論理を再構築しなければならない時期に来ている。そのためには、憲法の文理解釈だけではなく、変動する国際情勢と国連憲章を視野におきながら、従来の理論を組み変えて行く大胆さが求められているのではないだろうか。