宮沢賢治が父親のことを好きでありながら、そして父親も賢治のことを
いとしく思いながら、お互いうまく親子関係を築けなかったように、
自分も長男の望むような父親ではありませんでした。
でも長男のことは、ずっと気になっていたのです。
最近親子の関係が修復できてきたので、本心うれしいです。
自分の父親はずっと単身赴任で、ほとんど一緒に暮らした
ことがありませんでした。
週末に帰ってくる親父は、ちょっとこわくてまともに話せませんでした。
ちょっとしたことから、心の擦れ違いもありました。
自分は大事にされていない、そんな思いすらありました。
父は人格者で人から尊敬されていたので、もし親子でなければ、
自分もそう思ったことでしょう。
客観的に見れば立派な人でした。
でも家族だと、本来なら見なくてもいい嫌な部分も見えてしまいます。
そしてそればかり気になってしまいます。
今の自分なら、いいところを評価して、父を好きになれたでしょう。
でもあの頃の自分はそれができませんでした。
そして分かり合えないまま、父は交通事故で突然他界してしまいました。
長男との関係がうまくいかないのは、きっと自分も親とうまくいかなかったから
しょうがないことだと思っていました。
育てたように子は育つのでから、そうやって育った自分も、やはり嫌な父親に
なってしまうのは仕方ないことだと思っていました。
勝手な論理ですね。いい訳ですよね、自分が努力しないことへの。
子どもはたまったものではないですよね。
でもきちんと親学を身に付けさえすれば、大丈夫なのです。
最近自分が変わってきたのは、単身赴任を経験して、家族の大切さを
再認識したことと、ちょっと力をぬいて、子どもに接することができる
ようになったこともあるかもしれません。
もっと早く親学を学んでいれば、早くこの関係を築けたことでしょう。
でも遅れてしまったけど、関係を修復できたことはよかったと思います。
子どもは親の所有物ではありません。
自己満足で甘やかしていく対象でもありません。
人として一人前になってほしいです、親ですから。
親から自分へ、そして自分からわが子へ。
命のバトンを引き継ぎました。
自分の親としての大きな役目は果たしたかもしれません。
そしてわが子から孫へ、命のバトンが受け継がれていけば、
この上ない喜びでもあります。
以前何気なく聞いていたラジオのパーソナリティが言っていました。
「じゃあ、命のバトンを引き継げない人はだめなの?」
↓
「そうじゃない。」
↓
「そういう人は自分でゴールを切ればいいんだ。」
誰しも親から受けついた「命のバトン」
わが子に受け継ぐのも、自分で最後まで一生懸命走ってゴールを切るのも、
どちらも立派で大切なことだと自分も思います。
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