今回はWACがテーマ

841がWACって言ってるけどなんだろ??って思いますよね🌀

WACとは??簡単に書くと、

WAC=Women’s Army Corps女性陸軍軍団の略です。WACに参加すると、実際にはアメリカ陸軍の一員になります。勝利に不可欠なメンバーです!WACは1942年にアメリカの陸軍女性支部として設立。1978年に解散し、その後は男性と同じ陸軍に統合されました。(下の方には細かく書いてあります)

WACのマーク⬇︎


WAC(WAAC)の記章はギリシャ女神パラス・アテネの頭⬆︎がモチーフ

WACの仕事と目的を象徴しています。


パラス・アテネは勝利を通して平和と繁栄に導いた嵐・雷と戦いの女神と言われていました。


1941年女性補助者を設立する最初の法案を提出。

1942年女性陸軍補助軍団(WAAC)の創設を承認。


昔はWACをWAACと呼んでいました。

女性陸軍補助軍団 WAAC

女性陸軍軍団 WAC

そして、5つのトレーニングセンターが出来ました。

順番的には、

1 アイオワ州フォートデモイン

2 フロリダ州デイトナビーチ

3 ジョージア州フォートオグルソープ

4 マサチューセッツ州フォートデベンス

5 ルイジアナ州キャンプラストン



WACはトレーニングコースの後に適性テストがあり、得意分野に振り分けられる事も→科目によってはまたトレーニングが始まります。

事務員・料理人・自動車輸送・写真実験室技術者・医療、外科、歯科技術者・実験室技術者・レントゲン技師・金融。


将校のトレーニングコースが成功すると

役員候補生は少尉になれました。


WACの約3分の1が陸軍の空軍「Air WAC」に勤務


WACの半数が陸軍サービス部隊に勤務し、他の人は地上部隊に配備。



航空機警報サービス(AWS)

陸軍空軍(AAF)、

陸軍地上部隊(AGF) 陸軍サービス部隊(ASF)

輸送隊(ASF) 化学戦サービス(ASF) クォーターマスター軍団(ASF) 信号隊(ASF)陸軍医療部門(ASF) 工兵隊

軍事職業専門(MOS)

予備役将校訓練隊(ROTC)

途中でわからなくなりました(T ^ T)

WACは155のお仕事がありました。



第二次世界大戦(1939-1945)WW2


1942年最初のWAAC派遣隊。


WAACには地位がなかったので、方針が変わり、

1943年WAACは廃止。代わりに女性陸軍軍団(WAC)設立。


1943年にWACとなってから

帽章が変わりました。


帽章

左上 WAACオフィサー用

右上 WAAC時代の入隊者
左下 WAC時代のオフィサー用
右下 WAC時代の入隊者⬇︎



WAAC/WAC時代のオフィサー用⬇︎

※襟章は襟の上部にUSのピンバッチを左右両方

アテナマークは襟の下の部分に左右両方付けます。

ナースなど別の陸軍支部の場合、アテナの部分にその

マークのピンバッチを付けます。


WAAC/WAC時代の入隊した女性用⬇︎

※襟章は襟の上部に左右各一つずつ付けます。

ナースなど別の陸軍支部の場合、アテナの部分にその

マークのピンバッチを付けます。

WACのオフィサーはマダムと呼ばれていたんだよ。

私以前“マダム”って声かけられ、何でかなと思ったら

こういう事でした。後から知りました💦


WAACのボタン、ODのボタンcoat of arms

金色のボタンcoat of arms 1944⬇︎


入隊したWACのランク⬇︎ WACのオフィサーのランク⬇︎



袖につけるサービスストライプは、男性と同じで3年の期間ごとに付けれました。

海外のストライプは、6ヶ月で一本の計算で付けれました。




部隊章

部隊章を調べるのがお店を始めてから一番大変だった。

今となってはわかるけど、無知な時は名前すら知らなく、検索方法も分からなくて💦

どこに何をつけるかも不安定な知識でした。ここのブログで解決して頂けたら嬉しいです。合っているのかわかりませんが、

私が調べた内容をまとめました。


話を戻して、


1945年5月ヨーロッパ勝利、8月の日本降伏。


1946年2月陸軍は第二次世界大戦中頑張ったWACを再入隊。

1948年5月現役のWACは約6,500人。



琉球パッチ


朝鮮紛争(1950-53) Korean War

が始まると、多くの女性が必要とされ、

多くのWAC将校と予備役が自ら現役に戻りました。韓国での戦闘を支援する為に、沖縄に新しいWAC分遣隊が設立されました。


陸軍在日米軍

WACは韓国には行きませんでした。






ベトナム戦争(1955-1975) Vietnam War

1962年3月から将校、少佐が先にベトナム入り。

その後派遣隊のWACが順に向かいました。総勢約90名の派遣隊は1967年1月〜米軍が撤退し始めた1972年10月までベトナムに滞在。


その中でも陸軍看護師隊(ANC)のメンバーは、1956年にベトナムに到着し、南ベトナム人の看護スキルの訓練を任されました。当初、米国陸軍は看護師以外の女性をベトナムに送ることに抵抗してました。


海軍看護師隊はベトナムでは9人

空軍看護師隊と女性空軍(WAF)

アメリカ海兵隊は特別な存在で、1966年まで海外での活動が許された人数は60人。ベトナムに居たのは28人と将校の8人。他の方はハワイに駐留。


期間中、約11,000人の女性がベトナムに駐留。

米軍女性の約90%が看護師を務めていました。その他、医師、航空管制官、諜報員、事務員、その他の役職で働いていました。

ベトナム戦争には陸軍女性軍団、海軍、空軍、海兵隊、陸軍ナースコープス。加えて、沢山の民間人女性がARC、サービス組織(USO)、カトリック救援サービス、その他の組織、報道機関の外国特派員が働きました。


沢山の女性がベトナムで知り合った米軍の男性と結婚したと言います。