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巡礼者のブログ

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とりあえず8月をなんとか乗り切って、あっという間に9月。まだセミさんで鳴いてる子もいる。ちゃんとパートナーに出会えたのかなー?とセミさんのことが気になってしまう。夜は玄関前に、必死で壁を登っている片足のないカマキリさんもいて、前は人間だったこともあるみたい。

 

存在とタラタラ梅酒にして、タラタラ動画も観ているのだが、国連的には日本国も貧困国として認定されたらしい。遅いよ。日本が国連に大量のお金さん出してる意味って、本当にあるのかな?って、前から思っていたけど。そもそも、国連ってとこは、日本に対して戦争を仕掛ける時には、宣戦布告も何も必要ない国、って位置付けだけど、そんなところにお金出すなら、この貧困状態をどうにかしないのか?って、当事者の一人としては不思議。

 

なんか、動画に勧められるままに、通時的に観ているのは、Jリーグの記事。Jリーグを観る環境って、今はないし、野々村さんっていうチェアマンの人、無責任というか、他人事というか、上から目線というか、凄い。関係者さんたちは困ってると思うけど、こういう人がチェアマンなら、もうJリーグいらないよなー、というのが、個人的な感想。

 

昔、サッカーヲタク?だったこともあるけど、Jリーグは殆ど観てなかった、というか、バルサとか、セルタとか、そういう美しい系のサッカーが好きだった。今は観る環境もないけど。倉敷さんの実況とか楽しかったなー。いまは動画でワンプレイ集くらいしか観てないし、あとは、大会によってはFIFAのページから無料で観戦出来るので、それはたまに観てる。

 

きょうもJリーグの怖い記事を見たけど、実質的に、立っていることを強要するクラブ、っていうかサポーターの幕とかビラとかあって、やってる人たちは、それが「強要である」ってことに自覚がないのが怖い。まあ、そこは、しょっちゅうトラブル起こしているところだけど、そのうち、内輪のサポーター同士とか、常連のサポーターによる観戦初心者家族に対する暴力事件とかに、そんなに遠くない将来に起こるんだろーなー、と。というか、既にあって、口外されてないだけ?なのかも知れないけど。

 

まあ、知らんけど、こういう方向性だと、Jリーグなんか危なくて行けない。家族連れの新規の人とか、立つことを「強要される」んだろうから、戦中の大日本帝国、って、こういう雰囲気から来て、それで戦争に負けたんだろうなー、と、ある意味で、「日本の伝統」「日本の歴史」を感じてしまう。

 

別に、そのクラブのサポーターだけではなくて、そうとも思えないクラブとかでも、女の人が相手クラブ?相手サポーター?に向かって、「◯❌‼️」とか暴言を吐いてるのを知ってしまったりすると、まあ、地域との繋がり、って、単なる暴力の応酬じゃねーか?ってことで、もう、Jリーグは止めるとか、別のリーグを作るとかしないと、もうJリーグって、このノリが「体質化してる」んだから、一旦解散した方がいいんじゃないか?と思ってしまう。

 

きょう知ったのって、スタンディング文化、とか、横断幕に出ていたけど、殆どナチスのノリというか、SSというか、SAというか。まあ、SAか。さっきの、如何にも無責任で危機管理意識のない野々村チェアマンとか、世の中に対する見識って、多分ない人なんだろうなー、と。まあ、知らんけど。

 

因みに、そこの街は何度か行ったけど、原住民さんによって、クラブに対する感じ方が違う。

 

どういうことかというと、そのクラブが来てから、いい時代のその街のお店とか、減って行った、という原住民の人と、それはそうだが、クラブを応援しているという原住民さんの話は聞いている。何が起こっていたのかは、原住民ではないので知らないのだが、サッカーで街起こし、というよりも、その結果、その街のいい時代、お店の並びというものが破壊?された?という意味では、原住民さん同士の認識は一致しているとしたら、ホントにJリーグで街起こし?って、どうだったの?とは思う。

 

というか、そもそも、他に娯楽がない街?だったら、サッカーで街起こし、とか、サッカーで繋がる、とか、サッカーで地域のアイデンティティを確立する、とかあるんだと思うけど、どうも、元々、それなりに栄えていた地域の話を聞いたりすると、Jリーグって、その土地の文化のジェノサイド?になっていた?可能性?ってあるのかも知れないし。でも、実際、最初に優勝したのは多分、他に娯楽のない鹿島だったし。鹿島はお手本の様な成功例。当時は。

 

そういう意味では、クラブでなくて、代表だけど、昔、日韓共同開催のワールドカップの時、地上波でしか観てないけど、エムボマもいた時代のカメルーン代表がステイしていた町?村?カメルーンの人たちからすれば感動だよなー、と。カメルーンだって、欧州でプレイしていた人たちだっていただろうし、そうなると、多分、欧州で差別とかされる訳でしょう?それが、あのステイ先の交流とかあったら、それはお互いに感動するよなー。日本人って、こういう人たちだ、って感じてくれるんでしょう?

 

それと較べると、どっからお金が出てたのか知らないけど、スタンディング文化、って言ってるクラブ、Japanese only!とかやって、あれ見たとき、びっくりした、っていうか、あーあ、民間外交も台無しだわ、って、米国辺りから金が出てたのか?CIAの破壊活動の類いなのか?って思った。

 

もう、そういうクラブ、社会性ないから、解散でいいよ、と心情的には思うけど、チェアマンの今日見た様子とかからすると、チェアマン自身、組織としてのJリーグ自体に、そういう危機感ないんだなー、と、ホント、もう、Jリーグはない方がいい、って思うよねー。元サッカーヲタクの一人としては。

 

選手さんと監督さんは、ちゃんとサポーターを教育しないと駄目だね。自分たちで、直接に話さないと。いろんな事件で、いちばん迷惑してるのって、選手さと監督さんじゃないの?これ以上、日本の将来を考えないなら、もう、スタジアムに来るな、って、選手さんたち、監督さんは言うべきじゃないかなー?サポーターに甘えてると、また、無観客試合とかになる、って。ヘタをすると、JFLに降格させられる、あるいは、サッカーの世界から追放される、と。野々村チェアマンも、そういうこと考えるべきだろ?と。

 

宮本さんとか、選手時代のカッコ良さを画面で知ってるから、余計に思うけど、宮本さん辺りが、サポーターに対してハッキリ言わないと、組織としても、個人としても、ダメ。何のための選手経験なのか?って、知的な宮本さん、プレイでも、コメントでも、昔観てたから、何とか言って欲しいというか、野々村チェアマンとか、全然説得力ないから、知性ある人の責任としても、宮本さんに頑張って欲しいよなー、と思う。野々村チェアマン、全く説得力も、「他人に対する想像力」とかないから、さっさと辞めて欲しい。

 

地域、とか言ってる場合じゃなくて、それが世界に発信されている、となると、Jリーグって組織、その意識が無さすぎる。

 

嫌な言い方をすると、文科省が、Jリーグに対して、いろんな事件に対する報告書を求めるべきだと思う。組織としても、Jリーグ、新規顧客?新規ファン層からの収入を考えるなら、野々村チェアマンも、もっと真面目にやるべきなんじゃないか?と。新規スタジアム建設とかより、体質化、類型化した暴力に対して、マトモなことをしないといけないんじゃないか?と。

 

まあ、DAZNとの契約更新で、全ては終わってるのかもしれないけど。

 

 

普段から感じているけど、近所のコンビニの店長さん?オーナーさん?って、どういう感じているんだろうなー?というのがある。

 

別に、特別コンビニを使う訳ではなくて、ただ、店長さん?オーナーさんの姿とか態度からすると、「あー、なるべく使ってないと、悪いのかなー?」という感じがしていまう。さっきも、スーパーと値段が変わらないものと、いつものタバコさんが切れて、仕方なく紙巻きを買ってきたのだが、やっぱり普段感じることを感じてしまう。

 

自分は世間的?にいうと、弱者?男性?であって、障がい者でもあるからなのか、店長さんだかオーナーさんだかは、買った時に、ありがとうございます、とか、あんまり言わない。きょうは小声で言っていたけど、多分、それは、前に一人お客さんがいた手前、言った?のだと思う。別に最近のことではなくて、まあ、いつものパターンだ。

 

自分はそのコンビニというか、その店長さん?オーナーさん?に対して、徹夜だし、スーパーでやってないサービスとか、スーパーとか個人商店と殆ど値段が変わらないものについては、近所だし、買わないと「悪い」と思って使ってるし、コンビニって、本部は儲かって⁇も、店舗の人は酷い搾取を受けてる、って聞いているから、近所で営業してくれるのだし、少しでも買わないと、悪い、と思って、その罪悪感で買ってる。

 

コンビニの現場については、直接聞くこともあるし、ネット上だと、社畜ジャパンとか、その手のサイトで普通に記事を見るから、現場の店長さんとかオーナーさんが自殺するのは普通?みたいに受け取っている。そんなこともあって、サービスとか、品物によっては、近所のコンビニを使わないと、悪い、と思っている。

 

でも、店長さんだか、オーナーさんだかは、大変なのは分かるけど、あんまり買っても挨拶をちゃんとしてくれない、とか、他のお客さんにはお礼を言ってる、となると、まあ、自分としても、店長さん?オーナーさんに対して、あんまり気を遣ったり、心配したりする義理もないのかなー?って思ったりしている。

 

というか、コンビニの店長さん?オーナーさん?の命を心配する、って、その人のプライドからすると、失礼なのかなー?とも思うし、相手もそういうこちらの心理を、微妙に感じているから、普通の挨拶をしないのかもしれない。

 

というか、そういう環境を作り出しているコンビニの本部が全て悪い、と言ったら、それまでの話しなのかも知れないけど。特に買いたいと思うものも少ないし、本部の搾取とか、その手のブラックな話は、別に社畜ジャパンでなくとも、証言はいろいろあるし、自分の方が心配するのは余計なことなのかも知れない。

 

自分が障がい者だから、店長さん?オーナーさん?に差別?されている?のかは知らない。ただ、他のスタッフさんは、そんな事はしないし、やっぱり、店長さん?オーナーさん?の経営の問題で、やってらんないから、普通に挨拶するのも、怠い、というだけの話なのかも?知れない。

 

障がい者、って話だと、きのうだか、日テレの24時間テレビ?愛は地球を救うか?ってやったらしいけど、そういうのってどうなの?って気持ちはある、というより、変な番組だから、一度もマトモに観たことがない。あるとしたら、調剤薬局さんが、日テレを垂れ流しているので、その時間にたまたま目にすることはあるが、24時間テレビって、胡散臭いのもあって、ちゃんと観たことがない。

 

何でマラソンやるのか?って、感覚的に変?だし、チャリティなのにギャラがある?とか、横領がある?とか、って、他のいろんな団体にしても、おんなじこと?なんじゃないのか?って、別に普通に感じているし、報道がなくもと、そういう証言はあるし、自分が当事者であっても?〜因みに自分のタイプの障がい者は、日テレ的?24時間テレビ的?には、対象者ではないらしいので、そういう話なら、日テレも、ちゃんとそういう風に、最初から何度もアナウンスしてくれないのかなー、って、日テレの「逆差別」って、かなりなんだなー、というのが当事者の正直なところ。

 

24時間テレビに関しては、観ていないので知らないが、昔、その番組について、「感動ポルノ」と言った人がいるらしいけど、上手いことを言う人もいる、というか、多分、今回問題になっているらしいマラソンについても、おんなじこと?なのだろう。元ジャニーズとかどうしてるのかは知らないけど。その時のジャニーズのギャラとかも知らない。

 

コンビニの話から離れたけど、24時間テレビの話しからすると、そういえば、コンビニに24時間テレビの募金箱とかあるのかなー?と思ったのだが、さっきコンビニに行ったときは確かめなかった?というか、そんなものを発見したら、もう、このコンビニに義理を感じる必要とか、店長さん?オーナーさん?の気持ちやからだを心配する必要もない?というか、それならコンビニの本部を小一時間問い詰めたい、って方が、まっとうなのだとは思うのだが。現場の搾取、って意味では、コンビニ本部と日テレ24時間テレビ、って同類だなー、って話になって、全然面白くない。

 

まあ、日テレ本部も、搾取するコンビニ本部も、さっさとなくなってしまえば、店長さん?オーナーさん?に変な気をつかわないで済むし、コンビニ本部も日テレも滅びればいいだけの話なんではないの?そしたら、もっとマトモなことをする人たちからすると、やり易いだろうし、気持ちも楽になるのだろうし。

 

テレビないから、どんな番組だったのかは知らないけど、人様の記事とか、いつものパターンであれば、まあ、そうなんだろうなー、と、思ったりする。

 

コンビニ本部にしても、日テレにしても、自分たちが内部でやってることを番組にすれば、それが一番視聴率も上がって、生産的な解決⁇になるのかもしれないね。ということは、コンビニ本部も日テレも消滅する、ってだけの話だけど。

 

いいんじゃない?何より視聴率らしいから、そういう番組作れば、目標の達成にはなるんじゃないの?

 

障がい者をダシにして、24時間テレビ?って、まあ、当事者からすると、感覚、ズレてる。

 

 

 

 

将棋の藤井さんの王位防衛と、永世王位が決まる。あれからもう五年、というか、その五年間の自分に絶望したりする。

 

婚活女子の方で、五年婚活、という様な話は、動画や記事で見ているのだが、五年は五年だ。その分年取るし、なかなか人間というのは、自然に若返るという話はない。あるいは、五年分の人徳なり、人としての魅力がどうなるのか?というのは、その人の過ごし方による。長く生きたから、その分自然に魅力が増すということではないのだ。

 

自分の五年、というのも考えるに、自分で自分に絶望する。もちろん、この五年というのは、本当にあったのかどうかも分からない病の流行?というのもあっての五年なのだが。それをどうなのか?と思う向きは、自分で調べるか、人に聞いて、キーワードから調べる必要がある。ここではそのキーワードを書いたりすることはしない。自分はそれを幾つか知っている一人として、その様に言う。

 

さて、このところ〜昨日も触れていた話ではあるのだが、婚活女子の話である。女子に限った話ではないのだが、どうも、AIに勧められる記事、あるいは、男性の記事も見ようとはしているのだが、男性の婚活、婚活男子についての記事は、圧倒的に少ない。検索だからそうなのかも知れないが、それ以上の現場のことを調べる根性もない。

 

婚活女子は、男性の収入を基準に相手を探そうとしているらしい?のだが、その場合、年収1000万、とか、妥協して800万、とか、そんな文字と音声が踊っている。その様に望む向きは、それはそうであるのかも知れないが、そういう基準を立てること自体が、どうも不幸に繋がっているらしい、という風にしか見えないのだ。最低に言っても、結婚相談所のプロの方々の発言からするとそうである。

 

別に男の人と女の人と、どう違うのか?という話ではなくて、結婚相談所のプロからすると、それは無理だから、条件を変えて下さいと仰る方が普通の様である。つまり、年収という意味では、そういう現実はまず、ほぼあり得ないから、別の条件で婚活して下さい、というのが、婚活のプロの意見なのだそうだ。

 

だが、自分としては、その話も、?、と感じる。つまり、お金なぞなど、そもそも危ういので、果たして、年収幾らの人を希望、と宣言したとしても、あんまり〜少なくとも今の世の中で、生き残るのに意味があるのか?というのが、自分の感覚である。

 

年収が幾らあっても、近い将来に日本国がデフォルトする、という話は、ずっと前からある。90年代から、そういう話はあって、いよいよそうなる、という話はあるのである。そんな世の中なのに、お金さんを基準に物事を判断する、というのは、どこまで現実的な見方なのか?というのは、甚だ疑問である。

 

自分の場合は、近所の農家さんとかにあたって、手伝いでいいから、1日働いたら、大根一本とか、キャベツ一つとか、考えているのだが、何年も続くこの夏の気温からすると、手伝いだろうが、ボランティアであろうが、自分がそれで倒れて、かえってご迷惑になる、としか思えない。実際、自分も、去年、ちょっと歩いただけなのに、ほぼ熱中症の症状が出たし、今年もそうであった。となると、実質としての食べ物という着眼はともかく、ご迷惑になるなら、そこに関わる訳にいかない。責任問題である。

 

年収1000万あれば、大根さんとか、キャベツさんは買えるだろう、という人もいるかも知れないが、そういう結婚条件を設定する婚活女子の人は、自分がネット上で見る限りでは、エステに行く費用のため、とか、おしゃれをするため、とか、ランチに行くため、と言っている?あるいは、そのために、将来の旦那さんに、そのお金を出させたい、という人が大半なのであって、今後の日本国、とか、今後の世界が、と言って、婚活をしている婚活女子という例は、今のところ遭遇していないのである。

 

そんな訳で、エステとか、ランチとか、それどころではない、という現実を知っていれば、年収1000万のパートナー、とか、そんな希望を、少なくとも結婚相談所に伝えたりはしない筈?なのである。少なくとも、ある程度の知性と、ある程度の情報がある女の人なら、そんな条件を、結婚相談所や、パートナーに伝える筈がない、と、自分なりには思うのである。

 

それ以上に、ある程度出回っている情報で、何年にこういうこたが起こる可能性が高い、などという、それなりに裏付けがある情報であっても、多分、年収1000万の「若い男性」を求める、などというのは、単に年収とか、金額とかの問題ではなく、「現実の日本、現実の世界、現実の地球、現実の宇宙」について疎い女性が、そんな希望を出しているのだろう、ということで、そういう婚活女子系の人は、お金さんとか、金額に「洗脳されている」のだろう、と思っている。

 

そういう向きは、それでも、「何でもお金に換算する」という発想から抜けられないので、パートナーとか、男性についてもそうなのだろう。だが、ここで問題なのは、結婚相手の理想を「金額に換算する」という発想だけではない。

 

つまり、自分自身=婚活女子としてのその人自身を、「お金に換算している」という事実が問題なのである。あるいは、その発想からすると、婚活女子、その人そのものが、何でもお金に換算して、「自分自身についても、お金で換算する」という発想になってしまい、自分に自信と自身がないから、相手を高いお金に換算する、とか、自分の美貌?とか、年齢がいっている魅力?とかを、無理矢理お金に換算して、自分を高く売りつけようとする、その算段自体が問題なのである。

 

お金で何かすることが出来るのか?というと、そういう婚活女子系の人は、お金あるから、という答えになるのであろう。

 

しかし、そうはならない時代がやって来る?としたら?その人たちは、どういう基準で、実際に生きて行けるのか?というのは、どうなのだろうか?

 

お金を庭に植えたら、お金が生えてくる?という訳でもないし、そもそもお金を植えたら、食べ物が生えてくる?という訳でもない。どこぞの野球の選手の年俸として、札束をバッターボックスに置いたら、ヒットを打てる訳でもないし、ホームランを打つ訳でもない。

 

確かに、震災などで、ある程度は現金がないと、何も出来ないという現場の被災者さんたちの証言はある。だが、それは、供給される食べ物やお水や店舗やコミュニティがある程度あっての話である。

 

そういう考え方があるから、自分の場合、ご迷惑がなかったら、近所の農家さんに手伝い?をさせて貰えたら、とは思うが、この天候の都内では、自分がご迷惑をかけるのは、体験上も明らかである。そういう意味でも、自分に絶望している。

 

婚活女子系の人で、年収1000万の若い男性を、と思っている人は、それはそれで、他人の話だから知らないし、関係ない。だが、中には、そういう男性、あるいは元パートナー=旦那さんを追って、ストーカーになり、逮捕される女の人の記事もあった〜本当にそうなのかは記事だから知らない〜が、それって、終わってる、というだけの話だ。

 

女性であろうが、男性であろうが、年齢によって、できることも、できないこともあると思うが、まずは、からださんが頑張ってくれている、とか、こころさんが頑張ってくれている、という実感や発想がなければ、女性なら、便器を抱えてゲロ吐いてたり、とか、手首切ったり、とか、そういう人を、実際にたくさん知っている一人としては、年収1000万の若い男性を求めることも、ゲロ吐いてる人も、手首切ってる人も、その根っこはおんなじである、ということである。

 

年収1000万、という数字がどこから来ているのか分からないが、それは、具体的にこういう暮らしをするために、これだけ必要だ、という数字ではあるまい。何となく不安だから、年収1000万、とか、したいことが見つからないから、年収1000万、という話なのだろう、と想像する。不安だから、ということで、何か具体的な活動をするための年収1000万ではないと、個人的には思う。

 

言い方を変えると、年収1000万のパートナーが必要、というのは思い込みで、そういう思い込みをする人は、「没個性でしかない」のであって、逆に言えば、そういう人なら、どこにでも「その代わりはいくらでもいる」ということなのだ。つまり、そういうあなたは特に必要ではない、ということだ。

 

そんなつまんない人生やっても、いいところ、パートナーをATMにするだけで、何が幸せなのか分からないまんまに、老いと死だけに怯える、周囲が扱いにくい人になるだけだ。それって、そのまんま「不幸」ということである。

 

結婚相談所の方も、相談する側も、スペック、という言葉を使っておられる様であるが、スペック=性能、であって、あなた自身の存在のことではない。年収1000万、といって、年収1000万が来るのと、年収1000万の人が来るのと、どっちなのか?というか、お金さんが要るなら、別に結婚する必要はないし、結婚される側も大抵場合は迷惑なのだろう。年収1000万の人と結婚するのはやめて、1000万の札束と結婚すればいいんではないの?

 

スペック、と言って、自分も他人もお金に「換算して」、自分そのものの存在意義を失って、それでいて、漠然とした不安しかないから、相手にもスペック=お金換算と年齢換算をして、見栄と打算と世間体、でやってるのが、ネット上に溢れる婚活女子、だとしか、相当大量な記事を見た限りでは、そうとしか思えない。

 

そんなんだったら、婚活とかしないで、パートナーと求めて他人=将来的なパートナーをダシにするよりは、孤独に向き合って、っていう方が、よっぽどマトモな人生だと思う。

 

少なくとも、かなり大量の婚活女子系の記事を見る限りでは、そうとしか思えない。

 

昔、ゲーテさんが、「女はうつろいやすい、と男は言う。だが、女は、揺るがぬ男を求めているのだ」という意味のことを言っていたと思うが、そうかもしれないし、その逆のこともあるのかもしれない。

 

まずは、自分をスペックで見るのを止めること、から始めないと、どうにもならないだろう。だが、そこで勘違いした婚活女子というのは、記事を見る限りでは、相当にいる。

 

自分や他人をスペックで判断する、というのは、「モノとして自分を見る」「モノとして他人を見る」ということである。そこには、「生きられる世界」「生きられる関係」は存在しない。

 

別にスペックで幸せなら、それはそれで知らない。他人のことだから。

 

他人を「モノとして扱うから」ゲロも吐くし、手首も切る。これが本質的に、婚活女子と同じことだ。それは自分を「モノとして扱うから」自分にも、他人にも、暴力を向ける、ということである。フェミニズムも同じ理屈なのだろう。現場で知った人たちも、ネット上で見かける人たちも、結局はそういう理屈で、「生きられない自分を、更に追い詰めていく」という意味では同じなのだろう。

 

スペックではなく、別の視点や発想に目がいかないと、他人=将来のパートナー、も不幸にする。

 

そういう構造と暴力を見つめないと、多分、死んでも救われないのだろう。

 

「モノ化の世界」は地獄である。