「楽しいサッカー!」じゃいけないのか?とか、女子代表とか、J3とか、いろいろ観てしまう日 | 巡礼者のブログ

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徹夜の朝に書いたのに、この時間って、反則だよなー、と、ある方の昔のブログから、その方に怒られる!とか思ってしまう。ただ、現実には、それは、ない。若くしてお亡くなりになってしまったからだ。それについては、悔しいのであるが、きょう、お料理の記事があって、自分では経験のない、ご家族とのお料理のやりとり、とか、個人的には、生前の気高さを、記事を通じて拝見していたので、憧れと尊敬と危うさと、いろいろ今でも感じることがある。


でも、きょうは、徹夜で存在と呑んでて、なぜかサッカーのJ3とか、J2とかの記事で、いろいろ感じたことがある。統計も含めて、非常に興味深い連載があって、ローカルという価値とか、ローカルであることによる取り組みとか、拝見していた。


普段は、将棋の中継があると、それを横目にしているので。Jリーグとか観る時間の余裕がない。最近、Jリーグの試合ではないけど、観たとしたらACLの浦和ホームの決勝戦くらいである。あれはあれで、凄い。というか、浦和の試合は、時々国立で現場にいたこともあり、昔の話ではあるが、ライブで知っている。


で、そういう経営的には上手くいっているクラブは、多分、例外なので、きょうは特にJ3の経営や運営の動画を拝見した。


なんでそういう動画に辿り着いたか?というと、サッカー女子代表の記事とか問題を拝見していたら、妙?というか、自分の記憶だと、明らかに違う?という記事があったことからだった。


その記事だと、サッカー女子代表戦を中継して、それで、日本の女子サッカーのリーグ?を盛り上げていかないといけない、という認識になっていたことだった。ただ、自分は、今の日本の女子代表とか、女子サッカーのリーグのことはあまりにも知らない。


で、Jリーグというと、素人の自分からすると、男子のリーグ?今もそうなのか?現状としてそうなっているだけなのかは、知らない。


何でJリーグが出来たか?というと、それは、日本代表を強化するために作られたシステムであって、代表が勝ったらJリーグが盛り上がる、という話ではない。全く逆なのだ。代表をJリーグを通じて強化して、ワールドカップで勝つ、というのが、そもそものJリーグの存在意義なのである。


女子代表が、それとは違う目的で存在するのかは知らない。ただ、自分の場合は、中継があれば観ていたのと、近所で代表の選手さんと、時々遭遇していて、やっぱりオーラというか、雰囲気というか、普通の方ではないのである。サッカーの選手さんでもあるにしても、その姿はモデルさんでもいい、という様な、目には見えないが、凄い、という存在感があるのである。


自分はスポーツ系の友人とか知り合いとかいないので、ああ、こういうものか、と思えるのは、ご近所のその方の姿でしか知らない。


あの時代は、震災があったし、その状況と、サッカー女子日本代表というのが、一番の勇気にされていた方々もあるのかも知れない。でも、あれから十年以上経つのに、被災者さんで、救済されていない方の話を動画で拝見することもある。勇気や希望は、女子代表にあったとしても、被災者さんの方々の現実として、その様なことがある。しかも、福島第一原発の事故は、今でも進行中である。


当時、試合はPC画面で観ていたのだが、色んな奇跡があって、女子代表というか、通称・なでしこジャパンは結果を残した。それ自体も素晴らしい。しかも、得点している方と、近所ですれ違うことがある。そういう体感で、そんなに遠い話ではない、と、自分の場合は感じていた。商店街には、その選手さんへの感謝の垂れ幕も出た。


そういう時期が、震災もあって、あった。


それなのに、今は放映権の話になってしまい、テレビで共有するというのは、それはそれで大切だが、何かが違うと感じてしまう。


その後の世代の試合も、放映されたのは観ていたし、技だけではなく、姿に恵まれている選手さんもいらした訳である。その時のその世代の監督さんは、確か、「楽しいサッカー」というのを目標として指導されていた、と聞いている。男子代表で、同じコンセプトだったとすると、ファンからは苦情があるのかも知れないし、前回あれだけの結果を残したのだから、次はもっと勝て!という意識も、ファン層からはあるのかも知れない。


だが、当時の、将来の女子代表の中継では、確かに、選手さんの表情からも、選手さんたちのやり取りからしても、「確かに、楽しんでいる」という様子を拝見したのである。


何でサッカーだと、苦しんで、勝つ、ではなくてはならないのか?という疑問もあるし、楽しかったら、もっと楽しもう!という発想とか、選手さんとかコーチさんたちのやり取り、にあっていいのではないのか?思う。


赤紙が来て、戦地で死ぬ、あるいな死ぬ思いをする、あるいは殺される、いうのと、違う形の在り方があっていいのではないか?とか、何で代表だと、いろいろ言われなきゃいけないのか?とか、そもそも、青春してる若い女性の選手さんたちに、勝ったらどうだ、とか、負けたらどうだ、って、みんな勝手に言ってる、って、余りにも「残酷」じゃない?と、自分は思う。国のために死んで来い!ってのと、どこが違うの?と。


自分がバカで、「楽しいサッカー!」と仰った、その監督さんの名前も憶えていないし、でも、その監督さんのコンセプトに、とっても共感して、スポーツって、勝たなきゃいけないという「呪い」をやめて、「楽しむ!」って、サッカー協会から批判もあったのかも?知れないが、その時の監督さんを尊敬してる。


それが、本来の人間!なんじゃないか!と。


しかも、楽しんで勝つなら、それって、幸せ、なんじゃないのか?と。


きょうはJ3の記事をたくさん観てしまって、その話を書きたかったのだが、サッカー日本女子代表のことから始まって、J3の記事をたくさん拝見していたのである。


体育主義の呪いは、深い。


それなのに、次の世代の監督をされていた方が、「楽しいサッカー!」をコンセプトにした、というのは、いろんな意味で共感する。


その時の世代の選手さんたちが、今回、代表に入っているのかは、全く知らない。その監督さんが、今はどういう立ち位置なのかも知らない。でも、その監督さんは、スポーツというか、体育主義の一番ヤバい点を、当事者、指導者として、突いた、と、自分は理解している。


そのコンセプトを、現場で知っている選手さんが、チームにどのくらい入っているのかは知らない。


でも、一応、サッカーヲタクをやって、毎週、バルサの試合とか楽しんでいた一人として、バルサのサッカー、って、楽しいサッカーじゃん?とか、少なくとも、昔、中継を観ていた一人としては思うのである。


ボールは友だち!とか、何で悪いの?


ボールは友だち、じゃん!


青春じゃん!


なんで代表になると、それが悪いのか、自分にはよく分からない。


TVは、震災で捨てたので、端末から、FIFAにアクセスすれば、観戦出来るらしいので、出来れば、「楽しいサッカー!」して下さると、嬉しいです。


楽しい!って、どういうことなのか、自分にも、思い出させて下さい。


よろしくお願いします。


勝手な話で、申し訳ありません。


楽しんでる、姿、拝見したいです。