近所のお店のチャーハンと、奥園流チャーハンを較べてみる | 巡礼者のブログ

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割とまともな睡眠状態。でも、何故だかお料理が出来ない。存在も待ってくれているのに。


仕方ないで、存在といろいろ話して、近所のラーメン屋さんに行くことにした。別にラーメン専門のお店ではなくて、普通に近所の人たちに愛されている、腹ごしらえのお店。


存在は、ラーメンでもいい、というが、実際には、レバニラ定食で元気にして欲しい、という。で、白いご飯ではなくて、チャーハンをつけて、と言った。


存在の言う通りに、レバニラ炒めと、半チャーハン頼む。存在にしても、自分にしても、このひと月以上やってきた、奥園流チャーハンと、プロのチャーハンがどう違うのか?というのを検証しに来た、というのはある。


レバニラ、って、何ヶ月前?存在と、レバニラのことでやりあった時、から何ヶ月目?チャーハンなんて、半年は頼んでいない。多分、もっとだと思う。


で、カウンターの席だから、厨房の、火の芸術を堪能する。お料理人さん、カッコいい。羨ましい。


で、レバニラ炒めと、半チャーハンが来て、緊張はしないけど、自分たちのチャーハンと、どう違うんだろう?とは、まず思う。


チャーハン、別に破綻がある訳でもないし、悪い訳でもないのだが、奥園流チャーハンの方が、香りもあるし、少し焦がしているお味もあるし、予算の問題なのかもしれないが、プロの方のチャーハンより、ウチのチャーハンの方が美味しいのである。


予算があれば、当然、技術のあるプロには勝てない筈であるが、予算、とか、技術、とかを考えなければ、ウチのチャーハンの方が良いのである。


というか、自分の感想の前に、「◯◯ちゃんのチャーハンの方が、香りも、お味もいいよ」と言う。確かに、香りは、ウチの奥園流チャーハンの方が遥かに良い。


お味は、中華のことは知らないけど、焦げた味とかあったら、プロのお店さんでは、苦情とかあるのかもしれないし。奥園流チャーハンは、焦げを旨みの一つとして考えられているから、焦げたお味がなくなったら、つまんなくなってしまう。


焦げがお味のひとつ、というのは、家庭料理の世界の話なのかもしれないし、厨房で生きている方々には、焦がすのなんか邪道、という教育があるのかもしれない。知らないけど。


でも、やっぱりプロのチャーハンって、パラパラというか、こういうのを全うなチャーハンと言うのだと思う。自分のだと、チャーハンなのか、焼き飯なのか分からない、というジャンルだと思う。


ひと月以上、存在と、奥園流チャーハンを研究して、プロのお味より良かった、というのは、救いがある。プロだと、効率と技術で、売り上げを確保しないといけないが、ウチで作るには、プロの世界の様に、コストにシビアではなくとも良い。


逆に言えば、家庭のお味が悪かったら、そのお家の家族関係とか、パートナー関係がおかしくなる可能性もあるのだから、お家には、お家の理由で、ヘンにコストカットをしてはいけないのだと思う。みんな機嫌が悪くなっては、お家というものは機能しないのである。


まー、でも、ちょっと、ホッとした。存在が、客感的にみて、お家のチャーハンの方が、香りもお味もいい、と判定したのだから。


あらためて、お料理に、香りは大きいというか、香りで満足感もあるのだから。自分だと、香りまで計算出来ないから、プロの献立は役立っている。


他のお店でも、機会があれば、プロのチャーハンを食べてみたい。


あと、ウチのチャーハンがいいのは、量もある、ということ。お米さん一合を炊いて、そのままチャーハンにするのだから、量としても、食えた、という手応えがある。


献立を作ってくれた奥園先生にも感謝。