箱、と、空洞、と、いのち | 巡礼者のブログ

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主治医の診察。基調は眠い。iPadのライクペーパーのシートか、ガラスを買いに行くつもりだったのだが、雨ではなくて、デイパックのファスナーが、ブッ壊れ始めたので、直帰。デイパック、一応、新しいのを注文しておいたが、あす、あさっては外に出られないかもしれない。カメラバッグは半分生きているが。


主治医に、Apple pencilで書くと、活字に変換されるを実演して、主治医は、凄いねー、と。自分のメチャクチャな字でも、ほぼ正確に変換される。今回のiOS15からは、日本語も変換できる様になった。


iPad第9世代で、生活が変わりつつあるのだが、それよりも世界が激変している。自分が生き残ってしまうのか?は分からないのだが、世界がどういう理由で変わらざるを得ないのか、は知りたい。生きるにしても、死ぬにしても。


非常に気になっている話の一つが、「陰圧」という話。からださんの中身は、1気圧以下、1G以下で生きている、という話だ。先日、土橋重隆先生という方の話にあったことだ。


この話を聴いて、最初に思いつくのは、ある指揮者を死後に解剖した医者たちは、「この人が、どうして生きていられたのか分からない」と発言していた事である。思い出す方もあると思うが、前世紀の偉大な指揮者、セルジュ・チェリビダッケの死因を解剖した時の話である。


自分は、いのち、と話している時もあるのだが、いのち、は、聴くな、と発言することもある。この、いのち、に対する一つの視点として、「陰圧」というものがあるのかもしれない。


陰圧を調べていると、陰圧を保つ装置、というのも存在する様であるが、それが人間のからださんの中身に起こっている陰圧と、同じものであるのか、そうでないのかは分からない。土橋重隆先生は、自分自身を実験することで、陰圧のことも研究されているらしい。


その一つの形として、「箱」というのは重要ではないのか?という話がある。実際、土橋先生は、箱を使って、陰圧の実験をしているそうなのである。


箱、というと、今回に限って、という話ではなく、Apple製品の「箱」というものには、普段から関心があった。今回のiPad第9世代にしても、Apple pencilにしても、いつものApple製品の様に、独特の「箱」を使っている。単なる包装ではないのではないか?というのは、毎回、感じることである。


箱、というものを使うと、中身が傷みにくい、という話はあるし、実際、自分の歴史の中でも、そう感じることはある。あるいは、箱がないと、傷む。それが実感である。


しかし、Apple製品の箱、というのは、現代には珍しい、というか、箱そのものがデザインになっていて、毎回、箱を開けるのが大変である。何か、中の空気圧?というか、外の空気との関係で、大変開けにくい。少しずつ、箱の中に空気を入れていき、あとは重力で箱が落ちるまで待たないといけない。


このAppleの箱と、陰圧の話が関係あるのかは知らないが、箱、という、世界との境界の設け方、というのは、いのち、と繋がっているのではないのか?というのを、今回も考えてしまう。


自分の実感からすると、境界の設定の仕方が、即、いのち、と結びつく?のではないか?と思ってしまう。箱だけではなく、お部屋、とか、お家、とか、細胞膜、とか、境界そのものが、いのち、を生み出しているのではないか?と。


チェリビダッケの遺体にしても、解剖してしまうから?「どうして、生きていられたのか、分からない」という話になってしまうのではないのか?


最近の研究では、細胞膜そのものに脳がある、という話がある。そこには視覚もある、という研究もある。


いのち、というと、うっかり、学校教育からの洗脳で?細胞の命は、核にある、と思い込まされて?しまうのだと思うが、もし、そうではなく、箱、とか、家、とか、細胞膜、細胞壁、という箱もがあって、初めて、「いのち」が宿る、としたらどうなのか?


とりあえず、あると思うのは、箱、箱状のものは、ある種の欠損を生み出す?ということはないか?と。箱でなければ、例えば、半導体の正孔でもいい。欠損というか、空洞があるから、そこに流動というか、流通というかが発生する。


箱ではないのだが、脳神経系にしても、切断があって、リセプターというものがあって、という構造が、延々と続いているシステムである。


なぜ、箱、とか、正孔、とか、リセプターとか、一旦切断する構造があり、そこに流れが起きているのか?と。


もちろん、社会のシステムとか、生態系とかも、同じことなのだと思う。自分の感じ方からすれば。食べなくとも、生きられる人が、かなりの数で存在する、というのも、そういうことと結びつくのではないか?と。


何もないところに生態系が生まれるという実験もあるし、そもそも、「何もない、という状態」を作り出さないと=箱を作らないと、生態系は生まれないのである。


スティーブ・ジョブズが、そういうことを考えていたのかは知らないが、東洋的な世界観とは関係を持っていた人ではある。Apple製品の独特な「箱」も、彼のこだわりによるものだ。それが伝統となっている。


箱、と、欠損、と、空洞、と、境界と、「いのち」というものは、それ自体が究極の意味、であるのかもしれない。