ボランティアと支配とオリンピック | 巡礼者のブログ

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相変わらず、眠い。季節の変わり目とは言え、急な気温の変化に、からださん、厳しいのかもしれない。過ごしやすいのではあるが。エアコンもほとんど要らなくなったし。

オリンピックをやるのが自分の最大の仕事、と、菅が言ったらしいが、狂気の沙汰。きのうだか、おとたいだが、朝日の論座というところに、やっと本間龍さんの記事が載ったらしい。本間龍さんの話は、ずっと清水さんのところで聴いているが、そもそも新聞やテレビが、オリンピック利権屋というか、スポンサーなので、オリンピックは、お金さん的にも、物理的にも無理、という話は、新聞でもテレビでも出ないらしい。

というか、今時、テレビとか新聞見てるって感覚が、よく分からない。テレビも新聞も基本的には、洗脳と広告だし、ウソが多いし、肝心なことは、知ってて言わない、のだから、何で観る必要があるのか?NHKは受信料取っても、ウソと洗脳だし、新聞はお金払っても同じことだし。テレビとか、新聞見てる、って、それも狂気の沙汰だと思うけど。

で、テレビで、あの森が、オリンピック絶対にやる、とか宣言してるらしいけど、オリンピックやったら、都民で一人あたり、十万円前後、税金で毟り取られるし、都民以外の日本国民は、一人あたり二万円から三万円ぼったくられる。それでも、オリンピックやりたいのか?日本人はオリンピック、自分のお金を政府と利権屋にぼったくられても、オリンピック観たいのか?って、感覚がわからない。

オリンピックだけで、今のところ三兆円、って、それで、外国から選手とか、役員とか、観客とか来て、コロナを感染させられる、とか、充分にあり得るし。

本間龍さんの朝日新聞の論座も、取材があったのが一月前という話だから、それで初めて見た人は驚いているらしい。情報弱者という言葉があるが、情報弱者だと、余計にぼったくられる、という事だと思う。

テレビを捨てたのは、3.11のフクシマの後だった。それまでは、どーやってテレビが洗脳するのかなー?という研究?観察対象としてテレビを置いていたが、フクシマの報道があんまりにもメチャクチャで、洗脳にすらなっておらず、御用学者と御用キャスターのオンパレードで、馬鹿らしいから、テレビを捨てた。もちろん新聞は読んでいない。

それならネットの情報がどうなのか?というのはあるが、玉石混交という訳で、メジャーな人でもウソがある。あるいは、言わない事がある。その中から、マシなものを拾って、どう考えたらいいのか?という作業をしないといけない。

オリンピックについては、たまたま清水さんのところで、本間龍さんの話を聞いていた、という事で、信頼していい、と思える情報に触れる日常があった、というだけの話である。

本間龍さんの、「ブラックボランティア」という本があって、図書館で読んだことがあるが、ボランティア、というのは、そもそもどういうことなのか?という問題がある。

ボランティアというと、報酬が出ない、というか、少なくとも労働の対価は出ない。自分もある週一のボランティアを二年半くらいやっていた時期があるが、責任もあるし、なかなかハードな内容であった。余りにハードな案件もあって、自分にはもう無理だ、と理解して辞めた経験がある。

で、ボランティアという在り方について、自分のなかで、いちばん印象に残っている話は、「ボランティアなどの『昇華』が潜在的に病理現象でありうる」という一言である。

これは中井久夫先生の本のなかにある言葉なのだが、この命題の考察は、サリヴァンの言葉らしい。精神医学の話である。自分のボランティア体験では、そういう動機とは違うのだが、ボランティアの根っこには、病理がある、という話は、そうかもしれないと思えるのである。

中井久夫先生の話によると、例えば、老人介護の例であるが、あるご老人が、ボランティアさんからの介護を受けていたが、ご老人としては、丸一日ボランティアさんが来なくても、半日は自分で出来るのではないか?と思っていたらしい。

で、ご老人は、主治医さんに、その話をして、主治医さんは、ボランティアさんに、ケアは半日でいい、という話をしたら、ボランティアさんは、その申し出を蹴ったという話がある。その後、いろいろと主治医からの根回しがあって、やっと、ボランティアさんは、半日にしてくれたのだそうである。

この話とは何なのか?と思うに、このボランティアさんは、ご老人を丸一日「支配」していたかったのではないか?と思う。つまり、丸一日支配できる、というのが、このボランティアさんの病理的なところではないか?と思うのである。

ちょっと昔で言うと、共依存という言葉があったが、このボランティアさんは、そっち系のメンタリティの持ち主なのではないか?という感じもする。共依存も、病理的な支配関係の一つであるし。

オリンピックの話から、ボランティアの話になったのだが、オリンピックのボランティアさんは、どういう心境なのか?というのが気になる。

因みに、あるとしたらば、なのだが、次の東京オリンピック、審判さん、通訳さん、お医者さん、全員ボランティアという狂気の沙汰なのである。

というか、まだ始まっていなオリンピック、既に三兆円使って、三兆円の中には、ボランティアの人たちの手当てはもちろん入っていない。お弁当はあるのかもしれないが。

で、二週間のオリンピックに、ボランティアでかりだされるボランティアさん、何でボランティアを受け入れたのか?というのがよく分からない。

日本では、世界と違って、オリンピックは特別と思っている人がまだいるのかもしれないが、その期間だけでも、日本にいる言葉が出来るお医者さんたちが、日本全国からオリンピックに動員されたら、その期間の日本人の医療はどうなるのか?とか、コロナが発生したらどうなるのか?とか、競技場に近い医療機関に通っている患者さんたちはどうなるのか?とか、そういう想定は、政府にも、JOCにも、電通にもないらしい。そういう流れで、何も考えないで、オリンピックの話は進んでいる様なのである。少なくとも、本間龍さんの話では、そういう実態があるのである。

そういう話が、テレビでも、新聞でもしている、という話はないらしい。自分たちが、オリンピックのスポンサーである、という理由で、全く報道はされていないのである。そんな今、ある意味では、朝日の立場づくりのため?かも?しれないが、いちばん、というか、多分唯一、長くオリンピックの問題も追っている、本間龍さんへのインタビューが、論座というところに出たそうなのである。

因みに、その記事は、この数日で、読者もそのコメントもいちばん多いらしい。もう有料記事になってしまったらしいが、半分くらいまでは読めるそうである。

ボランティアという病理、という話を書けるか、と思ったのだが、これは、かなり大きな話で、別に書かないとダメそうである。

しかし、オリンピックのボランティアの人たちが、やってらんないので、ボランティア辞めます、って、ほぼ全員が届け出て下されば、オリンピックは中止になってくれると思う。

それで、お金さん的、税金的、ムダなお金をこれ以上出さないためには、助かるなー、と思えるのだけど、他の国民への重税を許しても、自分がオリンピックでボランティアする事の方が尊いのでしょうか?

このまんまだと、オリンピックで、政府や利権屋に、日本人がぼったくられるだけである。